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「誰のせいよ、誰の」
「ほら、遠くで先輩とやらが怪しんでるぞ。ちょっと耳貸せよ」
テーブルの上に少し乗り出すようにして、翼の顔の方に耳を近づける。
「さっきのはさ、おれも(なんだこの女)って思って、勢いに任せて言ったとこはあるんだけど」
翼の言葉に思わず吹き出してしまって、口元を押さえながら「うん」と相槌を打った。
「さっき京子とバッタリ会ってから、おれはずっと機会を窺ってたんだよ」
「なんの」
「もう一度自分とやり直してくれないか、って切り出す機会を」
ここまできて(本当かよ)などと確認することはしない。
あたしは大人で、ズルいけど空気は読むし、なにより自分の欲望には正直だから。
「昔も今も、仕事をこなしてる京子はかっこいいよ。そんなところもやっぱりいいなって思うようになった」
「いずれは、家庭に入ってほしいんじゃなかったっけ」
「今、もうそんな世の中じゃないだろう。時代は移り変わるから。……それに、やっぱさ、おれは嫌だったんだよ」
「何が?」
「京子とは、他人行儀に『久しぶり』なんて言い合う関係になりたくなかった。だから、もう言わなくていい関係になりたいんだ」
あたしたちの間にぽっかりと口をあけた二年の空隙。
そこを飛び越える間に、あたしが変わったところなんかほとんど何もないけれど、翼の中ではいろいろと葛藤があったらしい。
ただ、この二年間でお互いに変わらなかったのは、心のどこかで相手のことを想い続けていたということで。
それを感じた今、だめだやっぱり平気じゃないんだ、もっと近くにいたいんだ……と、素直にそう思えた。
だって、あたしも嫌だから。会えなかったあいだの出来事をつらつらと喋ったりするのは。
なにより、そうやって語るべき出来事の中に翼がいないのは、もっと嫌なのだ。ずっと抑え続けていた気持ちが、本屋帰りにぼんやり歩いてきた彼のせいで、そして変なところで寂しがりを発揮して寄り道を決めたあたし自身のせいで、胸の中に溢れ出していく。
す、と翼に近づけていた耳を離したあたしは、コーヒーを一口含んだ。そして主導権を奪われないよう、できるだけ落ち着き払って「なるほどね」と返事をする。浮足立ってはいけない。
「なんだよ、不満か」
「違うよ」
いつも仕事で営業スマイルを顔に貼り付けてばかりいたら、面白いときとか楽しいとき、どんな風に笑っていいのか分からなくなっていった。
けれど今は、自分でも驚くくらい、自然に笑いかけることができている。何故だろうか。
まあ、なんとなく答えはわかっているけれど、まだ口にしないでおこうと思う。
今は、他に言うべきことがあるし。
「あたしも嫌いなんだよ。『久しぶり』なんて言葉」
きっと、目の前にいる相手へ向かって、この言葉を使うことは二度とない。
その安堵感に誘われて、あたしたちは二人で肩をふるわせて笑った。
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