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「あれ? 今泉さんじゃない」
メジャーではないが珍しくもない自分の名字を呼ばれて、我に返った。
あたしたちのテーブルのそばに立っていたのは、隣の部署にいる、ふたつ上の先輩女子社員だった。普段からお高くとまっていて、他人を貶して自分を上げていく、あたしが大嫌いなタイプの女。かつて一緒の部署にいた彼女から新人教育を受けていた頃、あたしにとっての会社とは、現世に突如出現した地獄そのものだった。
苦々しく思いながら、あたしはよそ行きの会釈を繰り出した。
「先輩、お疲れ様です」
「私が会社を出る時も、今泉さんの部署、煌々と照明がついてたわよ。でもあなたがここにいるってことはしっかり仕事ができているみたいで、教育担当としてもホッとしたね」
「ありがとうございます」
あんたにホッとされる筋合いないんだよな、とは言わないでおいた。あたしは大人だから、思っていることをそのまま口に出したりはしない。あんたと違って。
「先輩は、どうしてここに」
「うん? これから合コンでさぁ。ちょっと時間が空いたから、ここでコーヒーでも飲もうかなって」
「はあ」
合コン、というキーワードを耳にしたあたしは瞬時に訝しんだ。というのも、ついこの間まで先輩には彼氏がいたはずなのだ。聞きたくもないのに教えてきたから、忘れたいと思っても忘れることができなくて苦労したのを思い出す。っていうか今ので思い出しちゃったじゃん。ふざけやがって。
それでもここで「あれ? 彼氏さんとは別れたんですね」とは口に出さない。あたしは大人だから。あんたと違って。
「ところで、こちらのかたは?」
先輩が翼のほうをちらりと見やってから訊ねてきた。嫌なところを見られたなあ……と思う。まさか仕事を放り出して、元彼と茶をしばいていたなんて言えるはずもないし、言いたくもない。特にこの人には絶対言いたくない。こんなことならまっすぐ家に帰っていればよかった。変な調子の乗り方をして失敗したことなんてたくさんあったのに、あたしはそこから何ひとつ学び取っていない。
そう思ったとき。
「ああ、どうも。彼氏です」
は?
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