希死念慮の希死田 1

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ケーキを買いに来るのは幸せな人ばかりでは無い。 まるで生ける屍のように憔悴した様子の人もいれば、店員に何の落ち度も無いのにも関わらず最初から不機嫌で隙あらば怒りを爆発させようと粗探しをしている人もいる。 「お持ち歩きのお時間はどのくらいでしょうか?」 大量の砂糖とバター。生クリーム。スポンジ生地にタルト生地。口当たりの良い爽やかなムース。色とりどりの旬のフルーツ。 「かしこまりました。二時間分の保冷材はお入れ致しますが、なるべくお早めに冷蔵庫にお入れください」 いちごのショートケーキ。 ガトーショコラ。 季節のフルーツのタルト。 ベイクドチーズケーキ。 ミルクレープ。 モンブラン。 ケーキは幸福な食べ物だと果歩は思う。 ケーキを食べる時、人々は皆幸福で満ち足りた気分になる。 「ありがとうございました」 オーダーケーキを予約する人は口調も丁寧で物腰が柔らかい人が多い。大切な人の誕生日や記念日を心待ちにしながら準備をするのはケーキを食べる前から幸福で満ち足りた人達だ。 「誕生日の蝋燭は何本お入れ致しましょうか?はい、かしこまりました。それでは長い蝋燭を一本、短い蝋燭を五本お入れ致しましょうか?もしくは有料にはなってしまいますが数字の形をしたナンバーキャンドルもご用意出来ますがいかがでしょうか?はい、かしこまりました。ストロベリーショートケーキ八号サイズ、ナンバーキャンドルは一と五をひとつずつご用意致します。ご来店は本日七時半頃ですね。お待ち致しております」 しかし閉店間際、靴音も荒く駆け込んできてケーキをテイクアウトして行く人々の顔は一様に険しい。 彼らは皆、その日一日我が身に降りかかった理不尽をケーキで相殺して有耶無耶にする為にケーキを買うのだ。ケーキにはそんな不思議な力がある。 「ガトーショコラをおひとつ、苺のタルトをおひとつ、ベイクドチーズケーキをおひとつ、以上で宜しいでしょうか?かしこまりました。お持ち歩きのお時間はどのくらいでしょうか?」 果歩はケーキが好きだ。 しかし、果歩が学生時代からバイトをしていたケーキ屋に就職したのはケーキが好きだからではなく就職活動に失敗したからだ。 面接官を前に事前に用意した薄っぺらで白々しい自己PRをする度に果歩は自分が何の取り柄もない酷くつまらない人間のように感じ、心身をすり減らして行った。 起きている間はどうすれば就職活動が上手くいくだろうと思い悩んでいたので目を瞑ると決まって面接中の夢を見た。夢の中の果歩は上手く話すことが出来ず、それどころか本音をぶちまけて全てを台無しにしてしまうのだ。 長所を教えてください。 「私の長所は明るく真面目で何でも最後までやり遂げることです」 部活やサークルは何をしていましたか。 「部活もサークルもしていません」 アルバイトはしていましたか。 「大学一年生の頃からずっと同じケーキ屋でアルバイトをしています」 最近のニュースで興味を持ったものはなんですか。 「国内の出生数が初めて八十万人を下回ったことです」 大学を選んだ理由はなんですか。 「日本の伝統的な文学を読み解いていくことで現在に至るまでの歴史から人間の生活、価値観を研究し、日本人の思想や精神への理解を幅広く深めたいと考えたからです」 自身を動物に例えるとなんですか。 「キリンです」 自分にキャッチコピーをつけるならなんですか。 「私を一言で表すとしたら、……私を、一言で表すとしたら」 一言で自分はどのような人間だと思いますか。 「……それが分かっていたら、こんなに苦労してません」 苦手なことはどんなことですか。 「今、この状況そのものです」 将来の夢はなんですか。 「ありません。あったような気もするけれど、分からなくなりました」 正に悪夢だった。そしてそれは覚めない悪夢だった。終わりの見えない就職活動は着実に果歩の心を蝕んで行った。 お祈りに次ぐお祈りにすっかり自信喪失して意気消沈していた果歩を見兼ねた店長に「果歩ちゃんさえ良ければだけど、うちに就職しない?」と声をかけられた時は渡りに船だと思った。 お前はうちにはいらない、お前には何の価値もないと突きつけられ続け、すっかり疲弊しきっていた果歩にはやりがいも給与もどうだって良かった。就職活動から逃れられるのであれば何でも良かったのだ。 学生時代から馴染みの店長、社員やパートアルバイトとの関係は良好。家族的な雰囲気の職場の居心地は悪くなかった。仕事の内容はバイト時代とほぼ変わらず、朝は早く夜は遅く、休みは少なく、給与は安かった。 「大ッ変失礼致しました。申し訳ありません。至急ご用意致しますので少々お待ちくださいませ。はい、申し訳ありません。すぐにご用意致します」 朝起きる。ケーキを売る。家に帰って廃棄のケーキをひとつ食べて眠る。また朝が来る。休みの日は何処へも行かず誰にも会わず、泥のように眠った。 日がな一日ショーケースの前に立ち、ケーキを買いに来る客を待つ。 「いらっしゃいませー。ご注文お決まりでしたらお伺い致します」 手慰みにショーケースに着いた指紋を拭って磨きながら果歩は物思いに耽る。 いつまで、自分は一体いつまで、この仕事を続けるのだろう。 誰からも選ばれず、従業員すら手をつけなかった期限切れのケーキを廃棄処分する時、果歩はこのケーキは自分みたいだと思った。 せっかく大学まで出して貰ったのに何者にもなれなかった。 ここではないどこかへ行きたい。 誰も自分を知らない場所で暮らしたい。 何も考えたくない。 夜眠ったまま、朝目が覚めなければ良いのに。 消えてしまいたい。 死にたい。 死にたい。 死にたい。 いつしか、そう考えるようになった。
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