第36話 「足止めしてもらえないでしょうか」(エリアス視点)

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第36話 「足止めしてもらえないでしょうか」(エリアス視点)

 夕食後、マリアンヌを部屋まで送り届けた足で、旦那様の執務室へ向かった。  オレリアとユーグが邸宅に滞在するようになってから、俺はアポなしで執務室を訪ねてもいいようになっていたからだ。 「失礼します」  ノックをして入室の許可を得て扉を開けると、すぐに旦那様の険しい表情が視界に入った。  一気に緊張感が増す。事前に許可を取らなくてもいい、というのは、逆に緊急性があることを意味している。それ故だろう。 「何があった?」  重々しい空気の中、返事をしようと口を開くが、それよりも先に旦那様の声によって遮られる。 「いや、オレリアがマリアンヌを転ばそうとしたらしいね」 「はい。申し訳ございません」  この事実を知っていて、旦那様に言えるのは、リュカしかいない。俺の失態を意気揚々と告げ口したんだな。 「マリアンヌがリュカを庇おうとした結果だ。防ぎようのないこともある。それに、オレリアがマリアンヌに攻撃的だということが、今回の出来事で分かったのだから、まぁ良しとしようじゃないか」  言葉は優しかったが“次はない”と目が言っているように感じた。が、それは俺も同じだった。 「リュカからお聞きになったのは、それだけですか?」 「ふむ。お前たちの足の引っ張り合いに付き合いたくはないんだが」 「ち、違います! オレリア様から聞いたことなので、リュカが本当に知っているかどうかは分からない情報なんです」  もしかしたら、鎌をかけられたのかもしれない。俺とリュカがマリアンヌに好意を抱いていることを知っている、と言ってから提案してきたことだから。 「オレリアから、か。リュカからは一応、毎日報告を受けているが。エリアスからも聞こうか」 「ありがとうございます。実は――……」  俺はオレリアから聞いたことを旦那様に話した。ユーグとの婚約前に、マリアンヌをものにしたくないか、という誘いを。しかも、それをリュカにも話していたことも含めて。  これを旦那様に話していないとなれば、リュカの信頼は崩れる。足の引っ張り合いじゃないとは、今更ながら言い難い内容だった。 「――……というわけなので、明日の朝、お嬢様をここで足止めしてもらえないでしょうか」 「いいだろう。リュカはしばらく領地に行くからいいとして。エリアス、ミイラ取りがミイラになった、なんてことはないだろうね」 「あり得ません。そんなことをしなくても、旦那様にはいい返事が出来ると思います。明日の朝、お嬢様から聞いてください」 「ほぉ、自信満々だね。ふむ、なるほど。楽しみにしているよ、エリアス」  これで明日の朝は大丈夫だろう。旦那様と一緒にいれば、オレリアであろうがリュカだろうが、マリアンヌは安全だ。だけど万が一と言うこともある。  念には念を入れておくか。  俺は旦那様の執務室を出ると、部屋には戻らず、こっそりと伯爵邸を出て行った。  ***  二年前から使っている使用人しか知らない通行口を抜けて、街へ出た。  仮にマリアンヌと出た時、他の使用人に告げ口される恐れがあるから、何か対策を立てないとな、と考えながら俺はとある家の扉をノックする。  コンコン、コン、コンコン。  すると、同じリズムのノックが返ってきた。 「また野暮用か、エリアス?」  そう言って扉から緑色の髪をした少年が出てきた。 「ちょっとな。至急、用意してもらいたい物があるんだ」 「いつも急だな。でも構わないぜ。エリアスはお得意様だからな。それで、何が必要なんだ」 「それは――……」  赤い瞳を(きら)めかせ、俺が言う物を真剣に聞いていた。が、次の瞬間、相手は顔を(しか)めた。 「おいおい、随分穏やかじゃねぇな。そんなに不味い状況なのか?」 「念のためだ。明日の朝、取りに来るから、それまでに用意しておいてくれ」 「あぁ。彼女は女将さんにとって大事なお嬢さんだからな。任せておけ。その代わり、エリアスも頼んだぜ」  詳しい事情も聞かずに引き受けてくれるのは、俺に対する信頼故だ。  ユーグとの手紙のやり取りだったり、孤児院への連絡だったり、と今までも何かと相手には頼っていた。信頼関係を築けるのには十分過ぎるほど。  歳は確か俺よりも下、マリアンヌと同じだっただろうか。  そんな相手だったが、取引は取引。俺はテーブルの上に、前金を置いた。それが俺たちのルールだった。成功報酬として、受け取り時に残りの金を支払う。  俺の給料では、まだ賄えないが、マリアンヌの護衛用に、旦那様からいただいた金を毎回、使わせてもらっていた。  いつかは自分の金でマリアンヌを守れるようになりたい。 「あぁ、そっちも頼むぞ、ケヴィン」  そう心に決め、俺は伯爵邸に帰って行った。  翌日、事前に準備をしていたのにも関わらず、俺は最悪の事態を防ぐことができなかった。
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