第38話 「ど、どうしているの?」

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第38話 「ど、どうしているの?」

 十時半。自室に戻る道中、私はふと、リュカの手紙を思い出した。  ◆◇◆  マリアンヌへ  今日、時間がある時でもいいから、僕の部屋に来てくれないかな。渡したい物があるんだ。だから、できれば一人で来てほしい。  リュカ・ドロレ  ◆◇◆ 「今日って書いてあったけど、もうリュカはオレリアと領地に行ったのよね。なのに、どうして“今日”って書いてあったんだろう」  う~ん。もしかして、その“渡したい物”が部屋に置いてあるから、取りに来いってことかな。一人っていうのも、エリアスに知られたくない、とか。  それだと辻褄が合う。……今ならエリアスに知られずに、リュカの部屋に行ける……。一人で。 「リュカの部屋に寄って、すぐに戻れば、エリアスにバレないよね」  私は廊下を見渡す。皆、オレリアの見送りで出払ってしまい、廊下には誰もいない。窓の外に目を向けても、同じだった。  うん、大丈夫。ちゃちゃっと用事を済ませよう。  私は廊下の角で、ユーグがこっそり見ていたことに気がつかず、リュカの部屋を目指して歩き始めた。  ***  十時四十五分。リュカの部屋に到着。いないと分かっていても、一応扉をノックした。勝手に入る罪悪感からだろうか。 「はい」 「え?」  しかし、なぜか部屋から返事が返って来た。それも、いないはずのリュカの声で。  どうして? と驚いている間に、扉が開く。そこに立っていたのは、灰色の髪の少年。 「リュカ?」 「お嬢様。良かった。なかなか来られないから、今日は無理なんじゃないかと思いました」  青い瞳が安堵の色を見せる。逆に、マリアンヌのオレンジ色の瞳は、動揺の色に揺れていた。 「ど、どうしているの? 領地に、オレリアと行ったんじゃなかったの?」 「あぁ、僕は明日、向かうように言われているんですよ」 「誰に?」  だって、エリアスはオレリアから、今日一緒に領地に行こうと誘われたって。リュカと交換してほしいと言われたって。  エリアスが嘘をついた? ううん、そんなことはあり得ない。だったらなんで? 「それはお嬢様でも言うことはできません」 「お父様は知っているの?」 「一使用人のことなど、旦那様がすべて把握はしていませんよ」  確かに。私でさえ、このカルヴェ伯爵邸に、何人使用人がいるのか知らない。その一人一人の行動など、尚更だ。 「それよりも、手紙に書いた通り、お嬢様にお渡ししたい物があるので、どうぞ中に入ってください。いつまでもお嬢様を立たせたままにしたくないので」 「う、うん。お邪魔させてもらうね」  なんだろう、嫌な予感がするけど、大丈夫だよね。攻略対象者であるリュカが、ヒロインの私に危害を加えるなんて、あり得ないもの。  大丈夫、大丈夫。  私はリュカに促されて、部屋に一つしかない椅子に座らされた。 「少しだけここで待っていてもらえますか。お茶をお持ちしますので」 「えっ、いいわよ。そこまでしなくても。受け取ったらすぐに出て行くつもりでいたんだから」 「そんなことを仰らないでください。お嬢様とは、なかなか時間が取れないのですから、せめてお茶を飲む時間くらい、僕にはくれないんですか?」 「ううん。お茶を飲むくらいなら、時間はあるわ」  リュカにそこまで言われてしまうと、拒否できなかった。今まで蔑ろにしてしまった罪悪感が湧きあがって。  私の返事に満足したリュカは、ティーセットを取りに、部屋を出て行った。一人、取り残された私は、部屋の中を見渡す。  椅子の近くには、普段リュカが使っている机があった。その上を見ても“渡したい物”がない。  あまり他人の部屋をじろじろ見るのはいけないんだけど、すぐに戻ってこないだろうから、少しくらいいいよね、と椅子から立ち上がった瞬間、扉が開いた。 「お待たせしました」 「え? は、早くない?」 「あぁ、いつでも来てもいいように準備していたんですよ」  そうなんだ、と私は椅子に座り直した。その間にリュカは、ティーセットが乗ったお盆を机の上に置き、カップにお茶を注ぐ。 「どれくらい練習したの? 随分様になっているね」 「ありがとうございます。お嬢様にそう言っていただけると、とても嬉しいです」  リュカはそう言って、注いだカップを手渡す。この部屋には他にテーブルがないから、私はそのままの流れでカップに口を付けた。 「どうですか?」 「うん。おいし……い……うっ!」  ガシャン! ガタン!  カップが床に落ちた音と、私が椅子から落ちた音は同時だった。  く、苦しい。喉が、胸が、焼けるくらい、苦しい。 「うっうう……あぁぁぁ……」  喉元と胸を抑えられずにはいられない。 「げほっげほっ……うっ……」  咳が出た瞬間、床が赤く染まった。それが血だと認識している暇もなく、さらに喉が押し上げられて、私は続けて血を吐いた。  痛い。胸が痛いよぉぉぉ。助けて、助けて、エリアス。痛くて堪らない……! 「うっ……あっ」 「マリアンヌっ!!」  再び血を吐いた瞬間、勢いよく扉が開いた。私は息を切らせて駆け寄ってくる音に向けて手を伸ばす。血に染まった手を、相手は躊躇(ためら)わずに掴み取る。 「マリアンヌ! 俺が分かるか?」  体の下に腕を回されて、仰向けになった。会いたかった顔に、胸を抑える手を向けたくても、苦しくて動かせない。 「エ……リア……ス」  私は絞り出すように、相手の名前を必死に呼んだ。助けて、という言葉までは出せずに、私は意識を失った。
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