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73.三姉妹と百合の花
「ああ~シーアもいよいよお嫁に行くのね」
私の頭に飾られた白い百合の花を突きながら、ジルはふうっと大きな溜め息を吐いた。
「もう、こんな日に花嫁に向かって溜め息なんて吐かないでよ。あと髪飾りを触るのも止めなさい」
「ローリー!だってあんなに小さかったシーアが他の家に入って妻として夫を支えるのよ?考えられる?」
「エバートン家は義理の母が居ないし、あの親子の感じだと大切にしてくれそうで安心だわ」
「ふふっ、ローリーが嫁いだ時は散々に虐められたものね」
今度こそ怒った次女のローリーは、冷たい視線をジルに向けると鏡越しに私の目を見た。苦労人の彼女が私の行く末を案じてくれるのは当然で、私自身まだ実感が湧かない。
夏が過ぎ、エバートンの別荘から引き上げた私はそのままカプレットの屋敷へ戻った。変わったことと言えば、ほぼ毎日、登校から下校に至るまでルシウスが私に付き添うことぐらい。所属するクラスが異なるので授業中は別々だったけれど、それでも時間さえあればルシウスは私に会いに来てくれた。
そう、それはもう周囲が私に構う暇もないぐらい。
一度だけ移動教室の合間に同じクラスの女子のグループから声を掛けられたこともあったけれど、付いて行っている途中で渡り廊下の向こうからルシウスが歩いて来て「シーアのお友達?」とにこやかに問うと、その場で曖昧に笑って散り散りに去って行った。
今思えば、私はずっと守られていたのかもしれない。特に嫌がらせを受けることもなく、学業に集中することが出来たから。その後は穏やかに日々が過ぎ去って、卒業式を迎えた。
その後、ミュンヘン家は皇室からの勅令で捜査が入ったらしく、爵位を落とされたとか、家主であるダルトン・ミュンヘンが逮捕されたなんていう物騒な噂を聞いた。というのも、父であるウォルシャーを襲った男たちもすぐに逮捕され、呆気なくミュンヘンの差金であることを吐いたのだ。
ーーーそして、今日。
暑さも落ち着いて木々の葉が色付き始めた秋の日、私はカプレット家の娘として、エバートンの所有する別荘で親族だけの結婚式を挙げる手筈になっていた。それは夏の間私たちが過ごしたあの場所で、すでに懐かしさを感じながら二階の部屋で姉たちと共に呼ばれるのを待っている。
なんでも神父さんの到着が遅れているとかで、母と父はそわそわと階下で走り回っていた。
ルシウスはおそらく別室で待機しているはずだけど、このまま式本番まで会うことはないのだろうか。一応リハーサルは簡単にしたけれど、緊張して震えていたりしない?
(………ありえないわね)
我ながら検討外れが過ぎるので、無駄な妄想を頭を振って追い出した。式の後はドレス姿をゆっくり堪能したいので、夫婦の時間を確保してほしいと熱烈に希望していた彼のことだ、きっとそんな可愛い心配は不要だろう。
その時、ノックの音がして、すぐに母親が入って来た。
「シーア、準備はどう?神父様が到着されたわ」
「ありがとう。お母様」
「……似合ってるわね、綺麗だわ」
そう言って細めた母の目に涙が浮かぶのを見て、私は慌ててハンカチを差し出す。父親は緊張して御手洗いから出て来ないという説明を聞きながら、私は鏡に映る自分の姿をもう一度確認した。
真っ白なドレスは母から二人の姉へ受け継がれたもの。もうこのドレスが着られることがないと思うと残念だけれど、四人の花嫁を世に送り出したのだから、十分役目は果たしたと言えるだろう。
「白百合は幸せの象徴よ、貴方たちの未来が明るく健やかなものであることを願ってる」
「喧嘩をしたらうちに遊びに来てね。辺境だからちょっと遠いけど、その分ルシウスだってなかなか辿り着けないわ」
「ジルったら!シーア……どうか、幸せになって」
母と二人の姉に包まれると、安心したように心がほぐれていくのを感じた。
エバートンに嫁いでも、私はカプレットの娘としての誇りを忘れないようにしたい。帰る場所があるというのは、迎えてくれる人たちが居るということは、きっととても幸せなことだから。
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