74.エバートン家の花嫁

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74.エバートン家の花嫁

 別荘の隣にある開けた場所には、小さいながらも可愛らしい式場が作られていた。  至るところに色鮮やかな花々が飾られて、今更ながらに結婚という言葉が頭の中でくるくる回って恥ずかしくなる。近付いてきた私たちに気付いた父ウォルシャーは片手を腹の上に置いたまま、嬉しそうに顔を綻ばせた。 「シーア…!晴れ舞台だな!」  その晴れ舞台にお腹を壊しているのに、そんなことを微塵も感じさせない明るい笑顔には笑ってしまった。ニコニコと嬉しそうな父の後ろには、同じく穏やかな笑みを浮かべたルシウスの父、ウェルテルの姿があった。 「君には何と言葉を掛けたら良いか分からない……こうして、エバートンの一員になってくれることを嬉しく思うよ」 「お義父様、」 「?」 「私、ルシウスのことは信じていますけど、お義父様や父のことはまだ許していませんからね。家族だなんて思わないでください」 「………!」 「ふふっ、すみません…冗談です。でも、傷付いたことは本当です。これから宜しくお願いしますね?」 「すまなかった……」  項垂れるウェルテルの肩を抱いて励ます役目は父親に任せて、私はルシウスを目で探す。いつもならすぐ見つかる黒い癖毛は、今日はどういうわけか見つけられない。  ドレスの裾をたくし上げながらキョロキョロしていると、頭上からぽすんと大きな手が降ってきた。 「誰を探しているの?」 「ルシウス…!」  私は驚いて声の持ち主を見上げた。いつも目に掛かっていた前髪はきちんとセットされ、真っ白なタキシードに身を包んだルシウスは私がかつて夢見た王子様のようだった。 「……似合ってるわ…素敵ね」  しどろもどろで吐露した感想にルシウスは照れたように笑う。その後ろで神父がそろそろ式を開始するという掛け声を放った。  輝く海を横目に、私は温かな手を取って歩き出す。  ◇◇◇  結婚式は何事もなく進められた。  少しだけ長く感じた誓いのキスを除けば、両親の祝福の言葉も、姉たちによる熱いスピーチも、あっという間に過ぎ去った。もともと家族だけのアットホームな式だったので、指輪交換など慣例的な儀式が終わると神父は足早に帰って行った。  パーティ仕様の食事はエバートン家の料理人たちが腕によりを掛けて作ってくれたようで、両親をはじめカプレットから来た人間たちは皆喜んで褒め称えていた。 「シーア様…おめでとうございます」 「ステファニー、ありがとう」  長らく侍女として私を支えてくれたステファニーともお別れだ。世話係として付いて来てもらうか悩んだけれど、彼女には家に残って母のことを支えてもらいたいと思った。 「なんだか…自分のことのように嬉しくて、」  ほろほろと涙を溢すステファニーを抱き締める。思い返すのはロカルドが現れなかった18歳の誕生日。冷えた紅茶を前に待ち続けた夜、私の隣にはステファニーが居た。 「貴女には本当に感謝している」 「お嬢様、」 「こんな風に自分の人生が変わるなんて思っていなかった。誰かを愛して、受け入れることが出来るなんて…」 「また…時々お屋敷に帰って来てくださいね。私も奥様も、旦那様だって楽しみに待っておりますので」 「もちろんよ」  手を取ってニコニコと話していたら、すっと影が差して見上げるとルシウスが立っていた。「少し花嫁をお借りしても?」という問い掛けに、ステファニーは大きく頷いて私の背中を押す。  ポカンとした私の手を引いてルシウスは、別荘の中へと足を踏み入れた。そのまま階段を登って向かったのは、夏の間に私が自室として使わせてもらっていた部屋だ。すっかり新婦の控え室と化したその空間には、姉たちの脱いだ私服や採用されなかった装飾品などが乱雑に置かれていた。  窓の外には青く澄んだ海が見え、庭ではしゃぐ賑やかな人々の声がかすかに風に乗って聞こえる。 「……ルシウス?」  急に黙り込むから心配になって問い掛けてみた。  意を決したように私を見る碧眼を見つめ返す。 「まだ、シーアの口から聞いてない」 「え?」 「君の気持ち…教えてもらってないから」 「………あ」  そう言えば、そうかもしれない。私は結婚やら何やらの形式的な関係は受け入れたものの自分の気持ちを伝えていない。正確には、伝えた気になっていた。だって、好きでもない相手に私はこんなに心を許さない。  でも、どうやら黒い狼はそれに拗ねているようで、私は掴まれた右手を彼の手ごと握り込むようにして撫でた。 「貴方のこと…愛してる」 「………っ」 「誰よりも、何よりも、愛おしいと思うわ。これからは私がルシウスを追い掛ける番ね。覚悟して」 「シーア…、」  強く抱き締める二本の腕に頬擦りしながら、私は目を閉じた。カプレットでもエバートンでも、なんだって良いから、この優しい生き物がどうかずっと私の側に居てくれることを願って。  終わりそうにない口付けに応える。  ウェディングケーキなんかより、よっぽど甘いと思った。 ーーーEnd. ◆ご挨拶とお知らせ ご愛読ありがとうございました。 スター特典を追加しましたので、興味がある方はどうぞ読んでやってくださいませ。作者的には特典部分が書きたいがための本編でした。
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