悪い夢

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私には夢がある。絶対に叶えたい夢がある。大切だった人が残してくれた、私の心のよりどころ。  夢のない人生に意味はない、そんなことはないって否定してくる人はきっといるけど、私は胸をはって言える。夢に助けられた人はたくさんいる、と。だって、私もその一人だから。彼とは、楓太とは高校でった出会った。今でも忘れない、桜が咲き始めた、入学式の日。眩しいくらい太陽が照り付けていて、まるで私たち新入生を祝福してくれているようだった。たぶん校長先生もそんなことを言っていた。そんな快晴とは裏腹に、私は不安でしょうがなかった。中学校時代の私は根暗で、友達も少なかった。彼氏どころか、信頼できる友達がいたかどうかさえ怪しかった。そんな暗かった中学校時代。高校生になれば変われるんじゃないかと思っていたけど、甘かった。自分が変わらないと何も変わらないのだ。まだ学校に着いてすらいないのに震えだす足。入学式が始まってもその足の震えは収まらなかった。クラス順に新入生の名前が呼ばれていく。自分の順番に近づくにつれて、足は震え、汗は止まらず、胸のざわめきが大きくなってく。変な声で返事しちゃったらどうしようとか、そんなことばかり考えてしまう。中学と何もかわらないじゃないか。そんな自分が嫌になる。生きた心地のしなかった入学式が終わり、教室に集合するように担任の先生から言われ、それぞれが仲良くなったばかりの友達や、中学校から一緒の友達と教室に向かい始めた。もちろん私は独りだ。当たり前だ。こんな根暗でどこにでもいそうな芋女に好き好んで話しかける人なんていないにきまっている。長い、長い廊下だった。自分はこの3年間もずっと独りなんだ、そんなことを思わせる時間だった。先頭を歩いている集団が立ち止まった。たぶん教室に着いたんだと思う。木造の、あたたかみのある教室だった。扉がガラガラと音をたてて開いた。次々と教室に入っていった。私も中に入る。やけに静かで、電気もついていない、でも窓からあふれる光が教室をあかるく照らしていた。その光景が心地よくて、私を少し安心させた。そんなことを考えていると後ろから入ってくる人とぶつかり、我にかえった。ぶつかった人はこちらを見ようとしない。私のことなど見えてないのと一緒なんだ。さっきまでの心地よさが、どこかへ飛んでいってしまった。いつの間にか教卓の周りに人だかりができていた。私もそこに行ってみたけれど、よく見えない。一枚の紙が置いてあったらしい。その紙を背の高い男子がマグネットで黒板に貼りつけた。そこには番号の割り振られた座席表が印刷されていた。それを見て、みんな座席に座っていった。「はぁ?なんで前なんだよ」と友達に不満を漏らす男子もいれば、「きゃー○○ちゃん席隣だねー」と声を弾ませながら席へ向かう女子もいた。私は思わず耳を塞ぎたくなった。私だけ、この場所で一人仲間外れにされといるようにさえ感じた。私の席は正面の一番後ろだった。私にぴったりな、目立たない席。椅子に腰を掛け、座る。いっそこのまま誰にも気づかれずに卒業してしまいたい。そんなことを考え始めた矢先、前からだれかが近づいてきた。すらっとした顔立ちで、背が高い、私みたいな人間とは一生関わることのない、そういう男子だった。その時はまだそう思っていた。その男子は、私の隣に座るなり、私に話しかけてきた。それも、とびきりの笑顔で。 「おはよう。席隣だね、よろしくね。」 「あ、よ、よろしく...」  突然声をかけられた驚きと、うれしさと、戸惑いでぐちゃぐちゃだった。返事も多分、ぎこちなかったと思う。 「あはは。やっぱ緊張してるの?」 「あ...は、はい。」 「僕楓太っていうんだ。よろしくね」 「よ、よろしくお願いします。」 「そんなにかしこまらなくていいのに。」  彼は笑いながら答えた。 「僕は君と仲良くしたいなぁ。友達になってくれるかな?」 「へ、と、友達...ですか?」 「ダメ...かなぁ?」  彼は首をかしげて私のほうを見ていた。こんなイケメンに、友達になってください、って言われて、断るやつなんているわけがない。 「も、もちろんです...」 「やったぁ。今日から僕らは友達だからね。敬語なんて使わなくていいよ。」 「は、はい。」 「あはは。まだ敬語じゃん。てかそういえば、名前聞いてなかったね」 「亜美...って言います。新田亜美です。」 「へぇ。じゃあ亜美ちゃんって呼ぶね。よろしく!亜美ちゃん!」 「よろしく...です。」  私の春は、その日から始まった。最初は学校に行くことが怖かったのに、今では楽しくてしょうがない。友達ができるかどうかも不安だったけれど、みんな私に優しくしてくれる。特に同じ部活動の愛奈ちゃんとは一緒に登下校する仲だ。心配していた学校生活は充実していた。そのなかでも一番嬉しかったのはやっぱり楓太君の存在だ。楓太君は頭がよくて、運動もできて、イケメンで、みんなに優しい完璧な人だ。先生も楓太君のことは信頼しているし、クラスでの人気も高い。モテモテで、もう何人かの女子が告白して、玉砕していったらしい。そんな楓太君の席の隣の私はなんて幸運なんだろう。ある日の授業中、居眠りしてしまった私を肩をつついて起こしてくれた。 「ぐっすりだったね。」 「寝ちゃってた!?起こしてくれてありがとう。恥ずかしいなぁ。」 「あはは。どんまい。ノート写す?」 「うん。ありがとう!」  彼は優しい。彼に優しくされるたび、嬉しくなる。それと同時に、他の人にも同じくらい優しくしていると思うと少し嫌な気分になる。もちろん優しいことはいいことだ。でも、その優しさが私だけに向けられたものだったら、どれだけ嬉しいだろう。そんなことを考えてしまう小さな自分は、楓太君の隣に立つ資格なんてあるのだろうか。ううん。ないに決まっている。それでも隣に立ちたいと思う。そばにいたいと思う。そう思ってしまう。そんなことを悩み、頭を抱えているうちに日々が過ぎ、ある日席替えをすることになった。楓太君が隣でなくなったら、話す機会なんてなくなってしまうだろう。お願い神様。楓太君の隣の席にしてください。私は祈った。たぶん、一生のお願いもそこで使ってしまったと思う。それくらい、強い思いだった。 「席替えだね。」 「うん。なんかドキドキするなぁ。」 「楓太君はどこの席だったら嬉しい?」 「そうだなぁ。亜美ちゃんの隣かなぁ?」 「え、それってどういう...。」 「あっ、次亜美ちゃんがくじを引く番だよ。」 「へ?本当だ。」  私は混乱したまま立ち上がり、一番前の教卓に無造作に置かれた折りたたまれた紙をつかんだ。目の前の黒板には席に応じて番号が割り振られている。この中のどこか、楓太君の隣までとはいかなくても、せめて近くがいいな。そんなことを思いながら席に戻る。さっき言われた言葉を思い出す。 「亜美ちゃんの隣だったらいいなぁ。」  冗談だろうか。そうに決まっている。そうでないとおかしいとさえ思う。客観的にみても、私と楓太君とではあらゆる面で釣り合っていない。そんなことは私が一番わかっている。でも、少し期待してしまう。楓太君が私のことを...。 「全員とったな。じゃあ自分の番号を確認して移動しろよー。」  先生の言葉で我に返る。楓太君はもう移動し始めたらしい。最後になるかもしれなかったし、もっと話したかったな。教卓の上からとった紙を開ける。そこには6と丁寧に書かれていた。顔をあげ、黒板を見る。必死になって6を探す。あった。前から数えて5番目。正面の一番後ろの席。今の席だ。隣を見ると楓太君はもういなかった。ああ。離れてしまった。私はもう楓太君と話すこともできないのか。恨むぞ、神様。がっかりした私はしばらくうつむいていた。 「あれ?亜美ちゃん席変わらなかったの?」  そう言いながら私の前に座ったのは愛奈ちゃんだった。近くに仲のいい友達がいてよかった。少しほっとした。 「愛奈ちゃん!席近いね!やったね!」 「喜びすぎだよ。亜美ちゃん。でも嬉しいな。」  歓喜の声と悲痛な叫びがクラスを満たしていた。机を動かす音もあって、かなり騒がしかった。大体が席を移動し終わり、少し静かになったけど、私の隣にはまだ誰もいなかった。 「先生。僕と彼の番号が被っています。」  声がした。はっきりとした声だ。楓太君だ。楓太君が机といすを脇に置いて、先生に向かって話していた。その近くの席では背の低い男子が座ったまま、困惑したまなざしで先生と楓太君を交互に見ていた。楓太君とだれかの番号が被っていたらしい。 「本当だ。すまんが楓太は空いてる席に...亜美の隣でいいか?」  え?思わず声が出るところだった。隣に楓太君が?困惑と、そのあとに嬉しさがやってきた。隣だ。また楓太君の隣に座れるのだ。私は神様に、運命に感謝した。ありがとう神様、よくやった神様。 「また隣だね。よろしく亜美ちゃん!」 「こちらこそよろしくね。楓太君!」  運命だと思った。私は確信していた。隣に座るこの人こそが、楓太君こそが運命の人だと確信していた。その日から私と楓太君の仲はより一層深まった。クラスの誰よりも楓太君と仲がいいと思っていたし、楓太君も同じ思いだったと思う。私は幸せの絶頂にいた。こんなに幸せになってしまっていいのかとさえ思えてきた。そんな幸せな日々が突然、終わりを告げた。あれは確か、夏休みに入る前のことだったと思う。その年の夏は例年と比べ気温が低く、曇りや雨の日が続き、校内にどんよりとした雰囲気が漂っていた。そんなある日、私は楓太君に声をかけられた。 「ねえ。今日うちに来ない?」  その日は学校が午前中で終わる予定で、親が出張に行っているから泊りに来ないか、ということだった。嬉しかった。そういうことだと思った。何を着ていこうかとか、どんな髪型がいいかとか、とにかくワクワクしていた。それが不幸への道だとは知らずに。いつも一緒に帰っていた愛奈ちゃんに用事があるからと言って、一人で走って家まで帰った。おしゃれをして、慣れないメイクもして、身だしなみを整え荷物をカバンに詰め込み、親に友達の家に泊まるからとだけ言って家を出た。教えてもらった住所をスマホの道案内アプリに入力して、早歩きして楓太君の家に向かった。意外と近所だったことに驚いた。やはり運命だろうか。スマホが示す場所に到着すると、そこには楓太君が立っていた。楓太君の後ろには大きな2階建ての家が建っていた。楓太君の家だろう。楓太君は私に気づくと笑顔で手を振ってくれた。それから私に家の中を案内するといって玄関のドアを開けた。私が楓太君のほうへ歩き出すと、楓太君が近づいてきて、急に手を握られた。緊張で心臓が飛び出そうだった。ワクワクとドキドキで感情がぐちゃぐちゃになっていた。楓太君に手を引かれ、家の中へと入る。誰もいないのか、家の中は驚くほど静かだった。案内された部屋に入るとそこには知らない男が3,4人いた。え?困惑し隣の楓太君の顔をみた。今まで見たことのないような、邪悪な笑顔がそこにはあった。  その日、私は楓太含む男5人に、いわゆるレイプをされたのだ。それから、私の心は壊れてしまった。学校には行かずに、ただ自分の部屋で日々が過ぎ去るのを見ているだけだった。一歩でも外に出たらまた犯されそうな気がして。両親には学校に行きたくないとだけ伝えた。いじめられてるのではないかと色々聞かれたが、私は何も答えなかった。そんな私にしびれを切らしたのか、両親はもう何も聞いてこなくなった。部屋に閉じこもって2年と何か月かが過ぎた。同級生だったみんなは高校を卒業して、それぞれの道を歩んでいるだろう。長い長い月日が流れた。その間、私は何度も死にたくなった。生きていてもいいことなんて1つもない。何回も自殺しようと考えた。でももうそんなことを考えなくなった。4月のはじめ、私は近所の人が私の家の前で話していることを聞いてしまった。楓太が有名な国立大学に進学したこと、そして4月末に妹の誕生日を祝うため、実家に帰ってくること。その時から、私には夢ができた。私の人生を狂わせた男を、楓太を殺すという夢だ。桜が散る、4月の末。楓太が帰ってくる日。その日に楓太を殺すことを夢見て、私は今日も生きる。私には夢がある。絶対に叶えたい夢がある。大切だった人が残してくれた、私の心のよりどころ。私は生きる。私の夢をかなえるまでは。
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