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衝突
世界標準時の午前零時、東欧の地に宇宙空間からの落下物が激突した。くしくもその辺りは、二国間の争いの最も激しい地域だった。未明の大気を震わせた物体は、不思議とわずかな衝撃を引き起こしただけで着地した。
国境近くで向き合う東西ふたつの軍隊が観測したところでは、物体は全長およそ七十メートル、体高およそ四十メートルの四足動物だった。頭部を地面に近づけ、匂いを嗅ぐ動作を続けている。
「あれは……犬だな。どう見ても」
目視、または上空からの画像で見る限り、食肉目イヌ科イヌ属の哺乳類に限りなく似ていた。縮尺が百倍であることを除けば、だが。
「ああ。幼なじみが飼っていた、日本のやつに似ている」
全身が金属的な光沢で覆われ、体組織が未知の物質で構成されていることのほかは、巨大犬の外見的特徴は日本犬に酷似していた。ぴんと立った三角の耳、明るい茶色に裏白の毛並み、胸を張った立ち姿、そして短く巻いた尻尾などである。
「どうする?」
先に、犬だな、と口にした将校がたずねた。
「どうするもこうするもないだろう。攻撃せよ、との命令だ」
たとえ宇宙からの飛来物であっても、とにかく巨大な生物でというだけで十分に脅威であり、「速やかに排除せよ」という命令を受けていた。
「砲撃開始」
東から砲火が上がると、驚いたことに反対の敵陣地からも「犬」に向けて攻撃が開始された。国や考え方の違いはあっても、人類が未知の脅威に対して起こす反応は同じだったのだ。
宇宙犬の着地した場所が戦場でなかったのなら、状況が異なったかも知れない。だが起きてしまったことは取り返しがつかなかった。
「全弾の着弾が確認されたのだろう? なぜ傷ひとつつかない」
「動いた! やはり犬だな」
がっしりとした前足を踏ん張らせ、地鳴りかと思う唸り声を発して、宇宙犬は牙をむいた。自分に向けられた明らかな害意を感じ取ったようだ。
第二弾の攻撃が開始された際、彼はすばやく反応した。鼻先を天に向けて雄叫びを上げると、誘導ミサイルや攻撃ドローンは大音量の衝撃波を受けて爆発四散した。大地を蹴って戦場を走り回れば戦車や装甲車が跳ね飛ばされ、踏み潰されて使用不能となった。
宇宙犬は地雷原をものともせず、航空機からの攻撃も効果は見えず、開始から三十分でどちらの軍も攻撃手段を失って沈黙した。
ある参謀は戦術核兵器の使用を上層部に打診した。だが、「効果は期待できない」と、即座に却下された。
現場の軍人たちにとって永遠のように感じられる小一時間、宇宙犬は周囲をうろついた。耳をぴんと立てて音を聴き、鼻で匂いを嗅いで回った。まるで何かを探し求めているかのように。
「宇宙犬はむかし埋めた骨でも探してるのか」
結局、何も見つからなかったようだ。犬は突然興味を失うと、シャワーの後のように全身を震わせた。そうして南からの風が鼻をくすぐると、ふいに走り去った。
こうして二国間には、突然の無期停戦状態が訪れた。たった一匹、宇宙から降ってきた犬のせいだった。
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