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Fragile
宇宙犬がアラスカからロシア、朝鮮半島をめぐって日本へ渡ってきたのは、地球に来訪してから七日目のことだ。
その日、英人が仕事を終えて家に戻ったのは深夜だった。帰宅時間を狙い澄ましたかのように、妻からSNSメッセージが届いた。
昼過ぎ、長女のハルはNICUを出られたそうだ。他の子と並んで新生児室に寝かされて、ガラス越しのママに向かって微笑んだという。
だが元気な様子を見せたその直後、容態が急変した。心臓の働きが弱まり、意識を失ってしまったという。妻は、「タッチ・アンド・ゴーでNICUに逆戻り・笑」とメッセージを打ってきたが、彼には笑えない冗談だった。
「これ以上の負荷に、僕は耐えられるだろうか」
このところ妻の愛奈とはほとんど会話をしていない。英人は今まで、「互いを思い合うから距離を置いている」と考えていたのだが、ほんとうにそうだろうか。
彼は家族のためにと、後ろ髪を引かれる思いで仕事に出ていたが、実のところは家族と顔を合わせなくて済むよう家から逃げていただけではないのか。
夫婦を繋ぐ絆が、今では脆く儚いガラスの橋に変じてしまったようだ。妻も同じように感じ始めているのかも知れない。ふたりは互いに近づきたくても、足を踏み出してガラスを破り、関係を壊してしまうことを恐れているようだった。
「どうにも出来ないことが、世の中にはあるんだ」
スマフォの画面に飛び出したニュース速報が、宇宙犬が北海道を離れ本州に上陸、と告げた。
「いっそここへやって来て、僕たち家族を街ごと踏み潰してくれればいいのに」
彼はため息に混ぜて、胸に生じた暗く冷たい願望を吐き出した。溜め込むばかりで外に出すことをしなければ、これ以上はもう耐えられなさそうだ。
英人はきっと今夜、ハッチの出てくる夢を見るのだろう。
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