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あれから数日後。乙葉は仕えている別所家の当主夫人に呼び出された。
夫人の私室に向かえば、彼女はのんびりとお茶を飲んでいる。そして、乙葉に気が付いてにっこりと笑った。
「あぁ、乙葉さん。時間を作ってもらって、ごめんなさいね」
ころころと笑った夫人に、乙葉は頭を下げた。最近ではすっかり女中としての立ち振る舞いが身についてきたと思う。
伯爵令嬢から、富豪の家の女中。周囲は乙葉の経歴を笑うかもしれない。が、あのままあの家にいるよりは、ずっといい。
(それに、働くことの大変さを知れた。お金の価値も、知ることが出来たわ)
だから、乙葉はこの生活にある意味満足している。
そう思いつつ夫人に視線を向ければ、彼女は自身の頬に手を当てる。そのおっとりとした仕草は、幸子とは似ても似つかない。
「実は、そろそろ幸子にお見合いを……と思っているのです」
「……お見合い、ですか?」
「えぇ、とてもいい縁談があるのよ。幸子には、もうすでにお話したのだけれど」
何処か遠くを見つめつつ、夫人がそう零す。……お見合い。縁談。もう、乙葉には縁のない言葉たちだ。
「さようでございますか。おめでとうございます」
当たり障りのない言葉を返せば、夫人が「まだ、まとまっていないわよ」と言いながら笑う。
でも、その笑みは屈託のない嬉しそうな笑みだった。
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