1348人が本棚に入れています
本棚に追加
「跡取り息子」として松波の家に生を受けた兄は、幼い頃から「医者」になるのが夢だった。
わたしと違って、頭脳明晰で努力も怠らなかった彼は、両親をはじめとする親戚一同の猛反対を押し切って念願の医学部へ進学を果たした。
大学で知り合って恋に落ちた母との結婚のため、生家と絶縁してまで松波家に婿養子として入った父親は、ものすごい剣幕で「学費は一切出さないからな」と凄んだ。
けれども、わたしたちにはイギリス人だった亡き祖母からの遺産があった。
生前、わたしたち兄妹をこよなくかわいがってくれた祖母は、当然孫の「夢」を知っていて遺していた。
そもそも、祖母自身が医者の家系だった。
その後、大学で医師養成過程を修めた兄は、順調に医師国家試験に合格し「夢」を叶えた。
それからは出身大学に籍を置いて研究を続けつつ、その附属病院に勤務していたのだが……
祖母の死後気落ちして患っていた祖父が他界すると、とたんに雲行きが怪しくなった。
とうに名目だけの名誉会長に退いていた祖父だったが、親戚一同はこれを機に兄を松波屋へ入社させることを画策したのだ。
そこで兄は、この「魔の手」から逃れるために、急遽イギリスにあるインペリアル・カレッジ・ロンドンで最新の「総合診療」を学ぶことにした。
イギリスではホームドクター制度が確立していて、「かかりつけ医」として地域に根ざして一次医療を担うGPはどんな症状にも対応することのできる「総合診療医」でなければ務まらないという。
かねてより「なんでも屋」的な幅広い医療知識が必要とされるその分野に興味を持ち、大学でもずっと研究してきた兄の目には、その「本場」を体験するには絶好の機会と映った。
また、彼は病院で実際の患者に触れる臨床も経験したいと思い立ち、すぐさま英国での医師登録するために、International Sponsorship Schemeへの準備に取りかかった。
日本ですでに総合診療専門医の資格は持っていたし、英語は母国語並みに話せた。
さらに、幸いにも祖母方のcousinで医師をしている二人が喜んで「推薦人」になってくれただけでなく、登録後に勤務するロンドン市内の診療所まで世話してくれたのだ。
そうして、兄は日本から脱兎のごとく飛び出し、his second homeであるイギリスへと渡ったのだった。
最初のコメントを投稿しよう!