Fake 1 /「夫」の帰国…?

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江戸時代、元禄年間に大坂の上難波町で古着などを貸し出しする損料屋として出発した「華丸百貨店」は、(口惜しいけれども)松波屋(うち)よりもさらに歴史の古い老舗デパートである。 江戸の昔、盆と暮れの「ツケ払い」を認める代わりに、商品価格は売り手と買い手の交渉によって決められていた。 当然のことながら、店は「太い」商いをさせてくれる金持ちの「お得意様」には「値引き」した。 ところが、損料屋から「衣替え」した華丸呉服店は「現金掛け値なし」と銘打って、どの客に対してもツケ払いは認めない即時払いをさせる代わりに、どの客にも同じ価格——つまり「正札販売」を(おこな)ったのだ。 その画期的な商法は、今まで「細い」商いしかできず高値に甘んじていた町家の庶民にバカ当たりした。 華丸呉服店の着物は男物・女物問わず売れに売れ、たちまち大商人の仲間入りを果たすこととなった。 明治に入ってからもその勢いは衰えず、大正時代に「華丸百貨店」に「衣替え」すると、全国の主要都市に次々と出店して一気に日本中の誰もが知るデパートと相成(あいな)った。 やがて昭和、平成となり、令和の今では「中元・歳暮を贈るなら、東は松波屋、西は華丸百貨店」と(うた)われるようになった。 —— 『華丸』は、松波屋(うち)の宿敵永遠のライバルだったはず…… 『合併』なんて……ウソでしょ⁉︎
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