Fake 1 /「夫」の帰国…?

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わたしの生まれた「松波(まつなみ)家」は、江戸の昔町奉行所で与力を務める幕臣であった。 江戸幕府が瓦解した御一新のあと、明治の世の時流に乗って製糸・紡績会社「松波屋商店」を興した。 その頃、武家から「士族」となった者たちの多くは困窮を極めていた。 そんな生活の中、なんとか娘を官営の富岡製糸場に入れて手に職をつけさせた。 その娘たちの「就職先」を確保するためでもあった。 ところが明治も末になると、日清戦争の戦勝金を充てて官営の八幡製鉄所が造られたことにより、当時の松波家の当主はこれからこの国の基幹産業が、軽工業から重工業へと変容していくと考えた。 だからといって、おいそれと造船業や鉄鋼業を(はじ)められるほど、松波屋商店に資力があったわけではなく…… とりあえず、当時流行(はや)りはじめた衣料品を中心とする「なんでも屋」の「百貨店」を創業することにした。 衣料品であれば、今までの伝手(つて)を利用できるからだ。 さらに、それまで松波屋商店の工場で働いていた女工はそのまま、百貨店「松波屋」で働くデパートガールに採用された。 時は大正に改まる。 世の中は大正デモクラシーの自由闊達な風潮の下、松波屋は第一次大戦の「大戦景気」に沸き返り、着々と業績を伸ばしていく。 その後、昭和に入ると太平洋戦争の際には人的・物的ともに甚大な被害を受けた。 けれども、それから戦後の朝鮮特需からの高度経済成長やバブル景気という「追い風」を受けたり、石油ショックやバブルの崩壊という「向かい風」を受けたりしながら…… 松波屋は平成、令和と生き延びてきた。
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