2.霊穴落とし

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2.霊穴落とし

「新開」  名を呼ばれ、僕は振り向かずに体を前に倒し、頭を下げた。足音もなく背後に立たれたことなど驚くに値しないが、振り返ることは別の意味で躊躇われた。  僕はずっと待っていた。  この時をではなく、この人物をだ。 「久しぶりじゃないか、実に。四年程か」 「……その節はどうも」 「何故こちらを向かない。窓の外に何かあるのか?」  言いながらその人物は僕の隣に立った。  相変わらずだな、と思った。  豪胆で、自信家で、自分の行動には毛程も躊躇がない。 「あると言えば、あります」 「……ああぁ相変わらず」  とは声をひそめた。「辛気臭い声だなぁ、お前は」  思わず笑いそうになって、慌てて奥歯で嚙み潰した。  僕はこの時、旅館二階の一番奥の部屋に陣取っていた。むろん誰もいない旅館にただ一人。この部屋はおろか建物内の明かりはすべて消して、本来なら何も見えない暗がりの中、履き出し窓に面した座敷に座って外を向いていた。  外は夜。普段ならライトアップされた庭園が望める筈だが、今は何も見るべきものが見えない。内と外、全部が真っ黒に塗りつぶされていた。 「要件は何だ。簡潔に言え」 「一休(いっきゅう)さん」 「私がいつ名前を呼べと言った」 「当然あなたの耳には入っていると思います。うちから、依頼人を連れ去りましたね?」 「は」  笑い飛ばすような声があり、そして僅かな沈黙があった。「連れ去った、か。そちらとしてはそう思いたいのだろうが、違うな。こちらは当然、ただ仕事をこなしているだけだ」 「一休さん」 「次名前を呼んだら殺すぞ新開水留」 「……」 「私はお前を殺せない。そういう契約だからな。だが今この瞬間に新たな契約を上書きしてもいいんだぞ。世の中とは常に変わり続けるものだからな」 「……あくまでも仕事だと、あなたはそう仰るわけですね」 「むろんだ」 「ならば致し方ありませんね」 「ああ、是非もない」  ─── 阿頼耶識一休。  確実にわが国の歴史を変えて来た組織でありながら、警察機構が決してその存在を認めない請負殺人稼業・黒の団。かつて「ふわふわ真心団」を名乗っていたがわけあって解散、その後は母体の看板を背負いながら闇の道を突き進んで来た。暗夜を行く凄腕の殺し屋であり、そして僕の娘の命の恩人であるという意外な一面も持ち合わせている。 「お前が噛んでいたのか」  僕の横に立ったまま、一休女史も窓の外を眺めていた。「私を見るな」  警告され、咄嗟に視線を下げた。闇夜に紛れて顔はよく見えなかったが、最後に会ってから四年の月日が経過したにも関わらず、どこにも変化は見られないように思えた。まっすぐに伸びた背中、肩より少しだけ短い髪、高い鼻筋、美しい顎のライン、そして、濃厚な血の匂い。 「僕がというよりも、指示を仰がれた形です」 「奇術を使って依頼人をだまくらかせと、お前がそう命じたわけだな」 「嫌な言い方はよしてください。(まじな)いですよ、僕らは拝み屋ですから。霊障被害に苦しむ者があれば行って呪いを施す。向こうから来る者があれば、受け入れて呪いを施す」 「詭弁だな。言い回しのあれこれなど興味がないし、私にしてみれば同じことさ。お前らがどんな名目でどんな奇術を使おうが、仕事を引き受けたからには相手が誰であれ我々は任務を遂行する。もちろんのこと、相手がお前だと分かった所でうちの連中は引かないぞ」 「でしょうね」 「どうだ」  問われ、僕はまた顔を上げそうになってしまった。 「私を雇うか?」 「……」  本当に、この人は ─── 潔いというのか、仕事に対して貪欲というのか、真っすぐすぎるというのか。  この場ではまだ詳細を明かすことは出来ないが、僕たちは今対立関係にあると言っていい。僕たちというのは、僕の所属する拝み屋集団「天正堂(てんしょうどう)」と、阿頼耶識一休の所属する「黒の団」である。正確には揉めている、というのとも状況は少し違うが、端的に言えば拝み屋のもとへやって来た依頼人を、黒の団が施術中に拉致してしまったのだ。つい先日の出来事である。  暴力沙汰で彼女らに勝てる組織などこの世に存在しない。だから表立って揉めているわけではないのだが、当然天正堂側としても納得しているわけではない。そんな状況の中、黒の団である阿頼耶識一休が僕にこう言うのだ。  ─── 私を雇うか。  つまり一休女史は、天正堂側に立って自分の所属する団体と事を構えてもいい、と言っているのだ。当たり前だが、これは友情や昔のよしみや情けなどでは決してない。そこにあるのは金だ。仕事だ。ただそれだけである。 「つまり、いっ……あなたご自身は、直接この件に絡んでいないわけですね」  問うと、 「ああ」  あっさりと答えが返って来た。「もし私が引き受けた仕事なら、お前に雇われてやるわけにはいかんものなぁ」 「では、どなたが担当されているのかお伺いしてもよろしいですか?」 「それを知ってどうするんだ。お前が手を回して何とかなる相手だと思うのか」  ─── ため息が出る。「思いませんよ」 「キリンだよ」 「き」  ─── きりん。余部麒麟(あまるべきりん)。「それって」 「ああ」  僕の言わんとすることを察して一休女史は頷いた。「今は私が後見人になっている。少しばかり、責任がないこともないからな。少しだけだが」  詳しい経緯は、かつて僕が記した天正堂所有の資料を確認していただきたい。参考資料である『七永』に全てが記載されている。  一休女史は何と、彼女が決して逆らうことをしないと決めていた絶対服従の相手、黒の団・団長、郡憲朗(こおりけんろう)をその手にかけたのである。死に至らしめる所までは行かなかった(誰が見ても即死したと思ったそうだ)が、結果的に郡憲朗は現役を退くこととなった。そのことに対して黒の団と、当時ふわふわ真心団だった一休女史との間にどのような取り決めが交わされたのかは、僕にも分からない。だが、その直後に一休女史がふわふわ真心団を解散し、黒の団・団長代理の座に納まったことは聞いていた。そして件の余部麒麟は、その郡憲朗の実の娘であると言われている。 「あなたが代理のままでいるのはそういうわけですか」  問うと、 「何が言いたい」  至極冷静な声が返って来た。 「本来なら先代団長の娘であるあなたこそが当代になるはずなのに」 「ああ、それか。興味がないんだよ」 「……はぁ」 「お前は出世に興味があるのか?」 「ありません」 「ならばなぜそこにいる?」 「……そこ?」  まただ。また僕は一休女史の顔を見上げそうになって、わざわざ視線を下げ直した。  僕は、自分の性格がとことん根暗なのを知っている。だから本当は女性と話をすることが得意ではない。陰気な奴だと眉をひそめられることなど今でも日常茶飯事だ。いつだったか、コミュニケーション能力をどこかへ落として来たのかと怒られたことだってある。とっくに成人していたにも関わらずだ。  いい大人になった上、仕事が仕事だから言わないだけで、本音ではこれからも女性や見ず知らずの人間と喋らずに生きて行きたい。だが、不思議なことに一休女史は別なのである。何なら、きちんと目を見て話がしたい。これは僕にとって数少ない願望と言えた。理由は、自分でもよく分からないが。 「お前、今は天正堂のトップに座っているのだろ。お前ごときが」 「ええ。まさに僕ごときが、ですよね。しかしトップではありませんよ。いわゆるナンバーツーです」 「出世じゃないか」 「断り切れなかったんです。やむを得ず」 「たくさん人が死んだからな」 「……ええ」 「私も同じだよ新開」 「……」 「私は常に累々と積み重なった屍の上に立っている。今更生きてる人間の上になど立ちたくはない。だが、あんなことをしでかしたんだ。責任を取らざるを得ない。ただそれだけのことさ」 「分かる気がします」 「お前ならばそうだろう。所で」  一休女史が言いかけた、その時だった。  誰もいない筈のこの旅館の屋内に、突如として何者かの気配が現れた。生きている人間だった。霊体の出現ならば誰よりも早く察知できる僕だが、こと人間の気配に関してはそうもいかない。だが、この時ばかりは別だった。おそろしいまでの殺気がいきなり圧し掛かるようにして現れたのだ。気づくとか、察知するとかの次元ではなかった。  ─── 死ぬ  そうはっきりと悟ったくらいである。 「……なるほど、こういうことでしたか」 「新開」  一休女史が、私を雇うかと聞いたのは何も金銭だけが理由ではなかったのだ。しかし僕は座敷の窓際に坐したまま、それでも振り返ろうとはしなかった。確認するまでもなかった。 「私を雇うと言え、新開」 「口に出してはいけません。謀反だと、そう捉えられかねませんよ」  一休女史が後退し、僕の背後へと回った。 「私に約束を違えさせるな新開」 「穂村直政(ほむらなおまさ)の命を救うことが出来れば、一生涯あなたは僕を殺さないでいてくれる」 「ああ、そうだ。先代団長の仇ともいえるお前を、実際この四年間殺さずにおいた。だから言え、一言でいい」 「……つけられていたんですか。それとも、あなたがここへ招いたんですか」 「新開時間がないぞ。もうはお前を一撃死の圏内に入れている」 「郡憲朗はあくまでも僕を目の敵にし続けるつもりなんですね。現役を退いてなお」 「当たり前だ。お前が黒井一族だってことはうちの連中誰もが知っていることなんだぞ」  ─── ため息が出る。「はぁ……だったら仕方がありませんね」 「言え新開。言えないなら『はい』でもいい。頷くだけでもいい。私を雇え!」 「やめた方がいい。僕の主義に反する」 「しんか……ッ!」  一休女史が僕たちの背後を振り返った。身体全体が、背後より迫りくる猛獣のごとき危険に身構えたのだ。「やめろッ!」  一休女史が暗闇に向かって叫ぶのと、形のない死が僕の背中に飛び掛かって来るのはほとんど同時だった。ダ、と勢いよく畳を蹴って、一休女史が部屋の隅まで飛んだ。 「はやまるな!新開水留は霊道を自分でこじ開けるぞ!その規模は想像するより遥かにでかいんだ!」  一休女史が叫んだ時にはもう遅かった。  僕の足下以外、この部屋すべての床が抜け、無以外何も存在しえない大きな縦穴が大口を開けた。僕の背後には母・依子(よりこ)が背中合わせに出現し、郡憲朗の左足を握って宙吊りにしている。そして一休女史は咄嗟の判断で飛び上がり、欄間に手をかけて霊穴への落下を免れていた。 「どういうつもりだ新開!私を呼びつけたのは貴様の方だろうが……ッ!」  問われ、三度目のため息が出た。 「だから言ったじゃないか」  ─── やめた方がいい、と。
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