【急】洞観

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【急】洞観

 柴本の生存――呼吸と心臓の拍動が安定して続いていることは、"蝶"から送られてくる情報を介して把握していた。けれども出来れば声を聞き、彼が無事であることを確かめたかった。  柳小夜子からの通話を傍受するまでに、おそらくは数分とかかっていなかった筈だ。けれども、体感ではきわめて長いように感じた。 『おーい、生きてるかい? 情報確認のため、端末のカメラをONにしてくれるかな?』 「ほいよ」  土埃で汚れた映像が飛び込んできた。カメラのレンズ部分に汚れが付いたことに気付いたようで、服の裾でぐしぐしと拭った。映し出されたのは先程までと同じ、郊外に続く夜道だ。  ただ、そこに男の姿はなく、代わりに赤黒いヘドロのような物体がそこら中に散らばっていた。すでに分解が始まりつつあるヒトモドキの死骸だろう。続いてカメラが切り替わり、端末を持つ犬獣人の男がアップで映し出される。  赤茶の毛並みと三角耳の犬狼族(けんろうぞく)、柴本が満面に笑顔を浮かべている。あちこちに新しい傷をこさえたようだが、ピースサインなんぞ作っている辺り、大したことは無さそうだ。さっきまでの冷静な猟犬と同一人物とは、とても思えない。 「ふぃー、危機一髪だったぜ。ギリギリで承認が間に合ってよかったよ。ありがとな」 『ああ、うん。……万が一の備えをした甲斐(かい)があってよかったよ』 「けどよ、おれの私物ケータイが予備扱いって大丈夫なのか? ロックの解除機能があるってのに」 「あー、そうだね。そこらへんは技術スタッフに言っておくよ。後のことはこちらに任せて君は休みたまえ。ひとまず、お疲れ様」  通話はそこで終了した。  同居人が無事だったことに胸をなで下ろしたのも束の間、今度はわたしの端末に着信。  表示される番号に見覚えはない。が、心当たりはあった。居留守を決めようと思ったものの、延々と続くコールに根負けして通話に出る。 『やぁ技術スタッフくん。他人(ひと)の秘密を盗み見るのは楽しかったかい?』  案の定、柳小夜子警部だ。  番号、間違っていませんか? 寝ていたところを着信で無理やり起こされた(てい)で返す。しかし 「いいや、それはない。鴻那由多(おおとり・なゆた)くん、単刀直入に言おう。君の一連の行動は、れっきとした犯罪行為だ。とぼけたってムダだよ。こちらにも調べるだけの時間は充分にあったからね。県警の技術を舐めないでいただきたいものだ」  慢心が仇となったようだ。何も言わず黙っているわたしに、女刑事は続けた。 「とはいえ、彼の命を助けてくれたことは心から感謝するよ。今回は本当に危ないところだった。おそらくは今後も、君のサポートが必要な局面も出てくる筈だ。そこで相談なんだけれど、取引をするつもりは無いかな? 見返りとして、今のちょっとした違法行為を不問にしてあげてもいい。代わりに、わたしの手伝いをして欲しいんだ。ちょうど技術スタッフの枠が空いている。どうだろう?」  見えない首輪に繋がれるのを想像する。どうにも息苦しくて不愉快だ。けれども、他に選択肢は残されていない。  どうか柴本には内緒にして欲しいと言い添えて、わたしは応じることを決めた。 (了)
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