【序】追跡

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 周囲の人物との比較では、背丈は取り立てて高くも低くも無く、体格もきわめて標準的。雑踏に紛れ込めば、数度またたきをすれば見失ってしまうような雰囲気である。  すんっ。その地味な後ろ姿を人混みの中に見失いそうになったとき、端末装着者がふたたび鼻を鳴らした。  人の群れをかき分け、歓楽街の雑踏の中を見失わずに追ってゆく。  追跡を受けながら、男はときおり、こちらを――カメラ付きウェアラブル端末の装着者を振り返った。尾行には気付いていると言外に告げている。それはその場にいないわたしにも察しがついた。  不正アクセス。  今、わたしがやっていることを一言で表せば、そうなる。同居人が身に着けている端末はおそらく、淡海県警察(あわみけんけいさつ)の備品だろう。それに、どうやらこれは単なる通信や記録のためだけの機器ではないらしい。全身の数ヶ所に、服や毛並みで覆い隠すように着けているらしい小さなケース――どうやら武器のたぐいを収納しているようで(シース)なる呼称が割り当てられていると判明――には、電子的なロックが施されている。くだんの端末は、(シース)の解錠に必要な物品でもあるようだ。そんなものにハッキングしていることがあきらかになれば、ただでは済まない筈だ。けれども、気付かれない自信がわたしにはあった。  かつて人間至上主義(ヒューマニズム)を掲げる団体の研究施設で行われていた、人間という生物種を改良する試み。その狂った夢の副産物であるわたしには、脳と電子機器を無線接続するためのシステムが組み込まれている。自分の体を動かすのと同じ要領でコンピューターを操作できるわたしにとって、県警のお粗末なネットワークなど造作も無く侵入できる。……おっと、お粗末は言い過ぎたか。 「目標は移動中。このまま追跡を続行する」 『了解。気をつけて』  独り言のような呟き声からは、いつも家で耳にする陽気さが削ぎ落とされて別人のようだ。そこに淡海県警(あわみけんけい)東岸署(とうがんしょ)柳小夜子(やなぎ・さよこ)警部が、通信機の向こうから返すのが聞こえた。  過去の短い間、同居人と男女の仲だった時期があったらしいこの女性が、彼の今回の雇い主だ。そして、わたしが不正に接続している端末の正規の接続者でもある。
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