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追跡対象である男は人混みに分け入ってゆく。大惨事が起こりかねない場所だが、しかし、意外にもこういった場所でヒトモドキが捕食行動を行った記録は少ない。衆人環視の下で擬態を解いて捕食しようものならば、即座に殺処分の対象となる。数十分もしないうちに銃火器やボディアーマーで身を固めた駆除専門の部隊が現場に急行し、"処分"にあたる。そうなれば勝ち目がないことを理解しているようだ。
わざと人通りの多い場所を選んでいるような動きは、捕食が目的でないことはわたしにも分かった。追っ手を撒くためと、それが無理でも追跡者に心理的な圧力をかけることが目的なのだろう。
だが柴本はいずれにも屈せず、一定の距離を保ったまま追跡を続けた。ヒトモドキが擬態している可能性のある男性は、人通りの少ない場所へと進んでいった。
『どうやら君を排除することに方針を切り替えたようだね。気をつけたまえ』
どこか他人事のような冷静さで言う柳の声に、なんとなく怒りをおぼえた。が、当の柴本は気にする様子もなく
「ん、了解」短く返したのだった。
中心部の大通りから外れて、郊外へと続く人気の無い道へと入ってゆく。その間、ヒトモドキは襲ってこなかったし、柴本もまた行動を起こさなかった。
夜更けの道には、ぽつりぽつりと街灯がまばらに立つばかりである。街から外れて歩き続けること1時間近く。ヒトモドキと思われる男が立ち止まり、振り返る。端末越しに柳が言葉を発した。
『可能なら対話を試みてくれ。駆除への移行のタイミングは現場に一任する』
「おうよ」
3、4メートルくらいの間を開けて、柴本も足を止めた。
「やはり獣人はしつこくて厄介だ。本当に忌々しい。うんざりする」
「つれねぇこと言うなよ。おれはあんたのファンなんだぜ?」
抑揚に欠ける平板な声に軽口で返す柴本。だが男はそれには応じず
「お前はここで死ぬことになる。手遅れだ」
「命乞いか? それならもっと上手くやれよ。食ったヤツの記憶とか何かあるだろ。せめてもっと上手く使ってやれっての。その外見の前の持ち主になんか思うこととか、ないの?」
「ない」
「そっかぁー」
ヒトモドキは犠牲者の記憶を吸収したかのような言動を見せる。仕組みは不明だが、おそらくは神経細胞のネットワークを写し取る機能を持っているのだろうと考えられている。ウミウシの一種には、藻類が持つ葉緑体や遺伝情報を体内に取り込むことで光合成能力を獲得する能力を持つものが知られているが、似たような仕組みなのだろうと推測する研究者もいる。
ウミウシが藻類から奪った光合成能力は一時的なものであるように、ヒトモドキが犠牲者から写し取った記憶もまた、少しずつ失われてゆくようだ。柴本と言葉を交わす個体が平板な声と表情なのも、かりそめの記憶や人格を喪失する途上にあることを示しているように見えた。
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