猫の手貸します名旅館

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 強い力では決してないのに、じんわりと肉球の優しさが伝わってきて、縮こまった筋肉が癒されていく。温泉とはまた違った贅沢さを味わえる。 「どこか、ご希望の箇所はございますか」 「……いや、もう……むにゃ……」  どうやら僕はそのまま寝落ちしてしまったようだった。最後ににゃん、という一声を聞いたような聞かなかったような。  障子の隙間から小鳥の囀る声と、柔らかく差し込む朝の光で目が覚めた。こんなに熟睡したのは何年ぶりだろう。  ううーんと伸びをして枕元のスマホを見れば、朝の六時。アラームの力を借りずに目覚めるこの気持ちよさよ。足元はぽかぽかと暖かく、いつも寝苦しい首の寝違えもない。腰は軽く、快適に上体を起こせる。心なしか猫背も伸びたような気がする。  朝食は七時だと、猫主人は言っていた。よし朝風呂に入るか。きらきらと輝く露天風呂へ、僕は再び湯を堪能した。 「お早うございます。お目覚めはいかがでしたでしょうか?」  今朝は思い切って、猫姿の猫主人をリクエストしてみた。猫主人は「お安い御用でございます」とその場で宙返りをし、黒猫姿に着物といういで立ちで、器用に朝食を座卓に並べてくれた。 「朝食は、相模湾で獲れた鯵の一夜干し、静岡産の釜揚げしらす、昨晩の金目鯛のあら汁でございます。ご飯はお櫃におかわりをご用意してございます」 「いただきます」  昨晩あんなに食べたというのに、朝はお腹がぺこぺこだ。ひとっ風呂入ったのもあるだろうけれど、健康的な朝に、身体が喜んでいるのが分かる。  地のものを味わい、朝も大満足だ。昨日覚えた淹れ方でお茶を飲んでいると、あっという間にチェックアウトの時間になってしまった。この時間がずっと続いたらいいのにと思うが、僕は思い返す。これはなけなしの運を使い果たした温泉旅だ。もうこんな機会はないだろう。    
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