第一章『ここはどこですか?』

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 今すぐにでも、この手であの暴漢を締め上げたかった。激しく頬を殴打して、何のためにこのようなことをしたのか、問い詰めたかった。  それは許されない。感情と理性がせめぎ合い、ランスロットを苦しめていた。  暴漢は、まだ口を割らない。  ランスロットの命を狙うような相手は、心当たりが多すぎてわからない。  汚職によって失墜したあの侯爵家か、裏金横領を摘発されて潰れたあの商会か。はたまた隣国の差し金か――。  書類に押印していたランスロットの手が、ふと止まる。 『そろそろ休憩にしませんか?』  シャーリーの声が聞こえたような気がした。もちろん、それは気がしただけで、実際はランスロットの妄想である。  彼にお茶を淹れてくれるような人物は、残念ながらこの部屋にいない。  シャーリーがランスロット付きの事務官になったのも、彼女が彼の気持ちを受け入れてくれてからだ。  それまでシャーリーはただの事務官だった。  ランスロットは専属の事務官を希望していたが、彼についてくれるような事務官は惜しくも現れなかった。ちょっとだけいいお給金を提示しているにも関わらず、誰一人と現れなかった。  それはランスロットの見目と噂が大きく影響していた。 『燃える赤獅子』という二つ名の通り身体は大きく、獣を思わせるような低い声が、彼から人を遠ざけていた。  騎士団の団長を務めるには、威厳に満ち溢れている姿だろう。  だが、そんな彼と仲良くしたいと思うような人物は、騎士団の中にしかおらず、特に女性にとっては、個人的に繋がりを持ってもメリットが見いだせないようだった。  そんな中、出会ったのがシャーリーである。  シャーリーはコルビー子爵家の令嬢であったが、彼女と出会ったときのコルビー子爵家は裕福ではなかった。言い換えれば貧乏である。  彼女には弟が二人いるため、彼らの学費を稼ぐために働きに出たと言っていた。  そして何より、シャーリーは計算が得意で、特に経費関係の書類が分かりやすかった。何しろランスロットは、そういった細かい数値を合わせることが大の苦手だからだ。  彼女が来てからというもの、毎月の予算は通りやすくなったし、経費に至っても、部下たちによる不透明な部分も明るみになり、無駄な費用を抑えることができた。  ランスロットは、再びハンコを持つ手を動かし始める。 (シャーリー)  ポン。 (シャーリー)  ポン。 (シャーリー)  ポン――。  ここにいても思い出すのはシャーリーのこと。彼女と共に過ごしたあの甘い時間。 「くそっ」  勢いよく立ち上がったランスロットは「休憩だ、休憩」と、言い訳するかのように大きく声を張り上げた。その声は、空気を震わせ、部屋中に響いた。  魔道具のベルを鳴らせば、地下にある事務室から事務官がやってきてお茶を淹れてくれるだろう。魔道具とは魔力を用いた便利な道具の総称である。  だが、ランスロットが望む事務官は誰でもいいのではなく、シャーリーなのだ。彼女が来てくれなければ意味がない。  だからランスロットは、自らお茶の準備を始める。  騎士団や魔導士団の団長の執務室には、寝台や浴室、お湯を沸かすための魔道具などが備え付けられているのは、ここで寝泊まりができるようになっているためだ。ランスロットの後ろにある扉が、その部屋へと続く扉だ。  それだけ「仕事をしろ」と言われているような気がして嫌な場所ではあったが、誰にも会わずに休憩ができるというのが利点でもあった。  魔道具で湯を沸かし、ティーポットに茶葉を入れようとして手を止める。  いつもはシャーリーがランスロットの隣で行っていたこと。 『今日は、どのようなお茶がいいですか?』  恥ずかしそうに微笑みながら、彼女はいつもそう聞いてきた。  だが、ランスロットには茶葉の種類がよくわからない。ワゴンの下の段には、茶葉が入った缶がいくつか並べられている。 『そうだな。少し、後味がすっきりとしたものが飲みたいな』  そう答えた時に、彼女が手にした缶は何色だったろう。  ランスロットは青色の缶を手にすると、ティーポットに茶葉を入れ、湯を注いだ。  お茶の香りが、ほんのりと漂ってくる。 『お茶菓子もありますよ』  お茶を蒸している間、シャーリーは手際よくテーブルの上を拭いて、お菓子を並べていた。
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