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◇◇◇◇
重い瞼をゆっくりと開けたシャーリーは、飛び込んできた見慣れぬ視界に、まだ夢の中なのかと思った。
「奥様、奥様。お目覚めになられたのですね」
黒のお仕着せを着て、黒い髪をひっつめている彼女は、覗き込むようにして、シャーリーを見つめていた。年は、シャーリーよりも少し上に見える。
だが、シャーリーには「奥様」に心当たりがなかった。
それでも目の前のこの女性が、シャーリーに好意的であることだけはわかった。
「今、他の者を呼んできます」
女性の目が、微かに潤んだように見えた。
シャーリーはパチパチと瞬きをしながらも、横になったまま顔だけを動かした。
(ここ、どこ?)
寮ではない。寮の自室よりもはるかにいい部屋だ。横になっているこの寝具も、ふかふかとしているし、何よりもシーツの肌触りが良い。
今、目の前にあるのは天井ではなく、天蓋である。ようするに天蓋付きの豪華な寝台で眠っているのだ。
シャーリーはゆっくりと身体を起こす。天蓋付きの寝台には四本の支柱があり、タッセルでカーテンが支柱にくくりつけてある。藍色のカーテンは、どことなく落ち着きを与えてくれる。
それに身体を起こしてから気がついた。この寝台は、広い。シャーリーが三人から四人も眠ることができるような広さだ。
(え、どこ? ここ)
聞こうにも、誰もいない。この状況を聞けそうな相手といえば、先ほどのお仕着せを着ていた女性だろう。だが、彼女は部屋を出て行ってしまった。
(戻ってきて、くれるのかしら……?)
寝台からおりて部屋をぐるぐると観察していいのかどうかも悩ましい。何しろ、知らない場所なのだ。知らない人間が勝手に部屋をぐるぐると歩き回っていたら、家主はいい顔をしないだろう。
仕方がないため、寝台の上からじっくりと部屋を観察した。
とにかく、豪華だ。としか言いようがない。寝台から見えるソファも、細やかな刺繍が施されており、繊細でありながらも重みのある色使いが、職人の腕の良さを表している。
扉を叩かれた音に、シャーリーは返事をした。
「奥様。お目覚めになられたと聞きましたが、ご気分はいかがでしょうか?」
グレイヘアを後ろになでつけ、見るからに「執事です」という年配の男が入ってきた。その後ろには、先ほどの女性がいる。
彼が、シャーリーのいる寝台に近づいてきたため、彼女は「ひっ」とシーツを握りしめた。
その様子を見た執事のような男は、目を細め、いぶかしげな視線を送ってくる。
「奥様?」
彼が一歩、寝台に近づくと、シャーリーは寝台の上で一歩退こうとするが、もちろんその場から移動することなどできない。
男は後ろの女性に目配せをした。
「奥様。もしかして、セバスのことが苦手ですか?」
そう声をかけてきたのは、先ほどもいたお仕着せの女性だ。セバスというのは執事のような男の名だろう。名前からしても執事のようだ。
シャーリーはこくこくと、小刻みに頷いた。
「あの……。ここは、どこですか?」
目が覚めてからずっと思っていた疑問を、目の前の女性にぶつけてみた。
「それに。『奥様』はどちらにいらっしゃるのですか? 私、御礼を言いたいのですが」
シャーリーが、このような立派な寝台で休めていたのも、心の広い『奥様』のおかげなのだろうと思っていた。
お仕着せの女性は振り返り、セバスと目配せをしてから、シャーリーに向かって尋ねる。
「失礼ですが、お名前をうかがってもよろしいですか?」
「あ、はい。こちらこそ、お世話になったのに、名乗らず申し訳ありませんでした。私、シャーリー・コルビーと申します。王城で事務官を務めております。よく覚えていないのですが、助けていただいたようで。ありがとうございます」
座ったまま頭を下げるシャーリーを、目の前の二人はじっと見つめている。
(もしかして、失礼なことを言ったかしら……)
助けてもらったのに、まともな御礼も口にできないと思われたのだろうか。トクトクと胸が鳴っている。
「シャーリー様、落ち着いて聞いていただけますか?」
目の前の女性は目元を引き締め、きりりとした口調でそう言った。
「あ、はい」
シャーリーとしては、充分に落ち着いているつもりだった。見知らぬ場所で眠っていたにも関わらず、騒ぐことなどしていないのだから、落ち着いていると表現してもいいと思うのだ。
「ここは、ハーデン家の屋敷です」
ハーデンの名は、シャーリーも知っている。王国騎士団の団長の姓がハーデンなのだ。
となれば、ここは団長が所有する屋敷なのだろう。
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