;第一話 桜が、お好きなのですか

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「申し遅れました」 青年は男を一瞥してから縁側に近付くと、わたしの目の前で音もなく立て膝をついた。 「本日より、御身の護衛役兼、お世話係を務めさせていただきます。玉月才蔵と申します。 先程は不用意にお声掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」 深々と(こうべ)を垂れた青年は、姓を玉月(たまづき)、名を才蔵(さいぞう)というらしかった。 耳慣れない畏まった喋り方に、わたしは呆気にとられてしまった。 「あ、いえ、そんな。 わたしは気にしていませんし、あなたは何も悪いことをしてないわ。 どうぞ顔を上げてください」 わたしの返事から数秒の間を置き、玉月さんはやっと顔を上げてくれた。 こうして間近で見てみると、面立ちの端正さが一入わかる。 こんなに恵まれた容姿を持つ人は、他に会ったことがない。 ただ、第一印象より僅かに幼さを感じる。 肌質も声質も、男性として熟していないような。 実年齢は、わたしと同じくらいだろうか。 「玉月は元々、雇われ用心棒の身でしてね。こやつ相手に畏まってやる必要はございません。 なんなりと、こき使ってやってください」 「でも……」 「ご心配なさらずとも。 ……ここだけの話、こう見えて玉月は女人ですから」 「えっ!」 ここだけの話、と上体を屈めた男に耳打ちされる。 わたしはつい素っ頓狂な悲鳴を上げてしまい、はっと口を手で塞いだ。 「異性にはなかなか忍びないことも、女同士なら気安く済むでしょう。ね?」 女人。女同士。 男性にしては未成熟と思ったら、そもそも女性であったとは。 わたしは大変な誤解をしていたようだ。 しかし彼、改め彼女の名は"才蔵"と男のもの。 着衣も男性用であるし、ひょっとして玉月さんには、性別を偽らねばならない事情があるのかもしれない。 「そう、ですね。 男の方よりは、気が楽、かもしれません」 本当は付き人なんて欲しくないけれど、この場合は世話係というより、目付け役の意味合いが強い。 どうしても誰かは宛がわれるならば、怖面のおじさんでなかっただけ、幸いと飲み込むしかない。 「(それにしても───)」 性別の方は、やっぱり釈然としない。 わたしにとって玉月さんは同性でも、男にとっては異性なのだ。 にも拘わらず、男は玉月さんに悪態を吐いたり、乱暴を働いたり。 双方の力関係がどうあれ、流石にあんまりな仕打ちではないのか。 男の笑みが深くなるほど、わたしの男に対する不信感は募っていった。 「───午後の連絡会議を始める!筆頭衆は直ちに(あたま)を揃えよ!」 遠方から召集をかける声。 城の関係者が、城のあちこちを回って、呼び掛けているようだ。 「おっといけねえ、点呼の時間だ」 反応した男が衿を正す。 いわく"筆頭衆"とやらに、男も属しているらしい。 片や玉月さんは、立ち上がっただけで動き出そうとはしなかった。 さっさと失せろとでも言いたげに、冷めた眼差しで男を見据えている。 「すいませんがウキさん。 自分は別件がありますので、これにて失礼させていただきます」 「わかりました。 対応してくださって、ありがとうございました」 わたしも立ち上がって、男に礼をする。 「滅相もございません! 段取りがつきましたら、案内の者を寄越しますので。 その時までどうぞ、ごゆっくりなさってください」 男は恐れ入った風に首を振り、わたしを再び座らせた。 「では、何かあれば玉月めに」 最後にそう言い残して、男は去っていった。 男からは名前を教わらなかったが、たぶん必要がないのだろう。 わたしと関わる立場にあるのは、差し当たっては玉月さんのみと思われる。 「───姫様」 男の姿が完全になくなると、玉月さんが改まって話し掛けてきた。 「ひ、姫様?とは……。まさかわたしのこと、でしょうか?」 「はい。 上様のご寵愛を賜る方は漏れなく、姫とお呼びするよう義務付けられておりますので」 「そう、なんですか……」 姫様。 普通に名前で呼んでくれと頼んでも、分を越えるだ何だと聞き入れてもらえないに違いない。 本来の自分と虚飾の自分とが隔たっていくようで、心が追い付きそうにない。 「もうじきに、上様のお仕度も済むでしょう。 なにか質問などございましたら、ご遠慮なく」 わたしの目線に合わせて、玉月さんが屈んでくれる。 長い睫毛に縁取られた大きな瞳。 真っすぐで濁りがなくて、吸い込まれてしまいそうになる。 「いいえ、なにもありません。 お気遣い、ありがとうございます」 「……左様ですか」 二言(にごん)は不要と悟ったのか、玉月さんが踵を返して離れていく。 そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、わたしは罪悪感に似た感情を覚えた。 「(今日から始まるというのに)」 側室として、どう振る舞うのが正しいのか。 まだ見ぬ上様とは、如何様な人物であるのか。 本音を言えば、聞きたいことはたくさんあった。 でも、聞けなかった。 「(大丈夫かしら、こんな調子で)」 玉月さんは実直な人だ。 わたしの本意に沿うようにと、常に慮ってくれている。 わたしが嫌がれば無理強いせず、わたしが求めれば最大限で応じてくれるだろう。 なのに距離が縮まる気さえしないのは、彼女()本意でないことが伝わるからだ。 わたしの求めに応じてはくれても、彼女の方はわたしを求めていないと分かるからだ。 抑揚のない声も、血の通わない表情も、どこか鬼気迫る雰囲気も。 全身を使って他者との、わたしとの交流を拒んでいるかのよう。 あくまで主従の関係性を、絶対に超えさせてはくれない。 「(会ったことがないのは、人柄にしても同じね)」 わたしは、あまり歓迎されていないのではないか。 わたしを、玉月さんは快く思っていないのではないか。 邪推で胸が軋んでいく。 初日から弱気でいては、後が辛いだろうに。 「ん……?」 ふと、玉月さんの影が半分に縮んだ。 花木の側でしゃがみ込み、右へ左へ行ったり来たり。 「どうなさったのかしら」 続きを観察していると、玉月さんが戻ってきた。 何故だか、右手に拳を握って。 「姫様。ひとつよろしいですか」 「なん、なんでしょうか」 「その、手を……。両の手を、差し出してもらえますか」 "両の手を差し出せ"。 急なお願いに戸惑いつつも、わたしは言われた通りに従った。 拳を解いた玉月さんは、わたしの手中に数枚の花びらを落としていった。 これは、あの花木の。 「桜、というのですよ」 「え?」 「不思議そうに眺めてらしたので、存じておられないのかと」 ぎこちなくなった喋り方、合わなくなった目線。 先程までとは様子の違う玉月さんに、わたしは自然と口角が上がった。 「さくら……」 不安と緊張とで凝り固まったわたしを、彼女なりに和ませようとしてくれたのだろう。 不器用ながらも人情味のある労りに、じんと温かい気持ちにさせられる。 「そんな名前、なんですね。 はじめて見たけれど、とても綺麗な花」 「はい。───私も、そう思います」 俯きがちに、ふっと破顔する玉月さん。 わたしは、彼女に対する認識を改めた。
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