風邪の日

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 彼女の部屋はひどく寒かった。それに、加湿器なんて気のきいたものはなかったから、乾燥もしていた。  僕は持参した片手鍋に水をはり、小さなキッチンの一口しかないガスコンロに置く。あまり使われていないコンロはもたもたと火花を鳴らし、くたびれたため息のように青い炎を吐いた。  物音で目が覚めたのか、彼女はワンルームの隅のシングルベッドの中で、身をよじらせた。何か、一言二言、僕の来訪に謝意のようなものを述べて、分厚い羽毛布団にくるまったまま、僕を見つめた。 「おかゆでもつくろうと思って」  彼女は、食欲はないのだ、というようなことをつぶやいた。  それでも僕は、身をすぼめながら台所に立ち、お湯がわくのを待った。  飲みかけのスポーツドリンクやゼリー飲料が流しの中に置いたままになっていた。しまおうと冷蔵庫を開ける。数本の缶ビールと、ブロッコリーがひと株、そのまま入っていたから思わず笑ってしまう。  ブロッコリーは、それがどういう状態なのかわからないが、少し黄色くなっていた。冷たく、乾いた冷蔵庫の中で、干からびかけているのかもしれなかった。  階下に住む大家にもらったのだと、その大家は高齢の女性で、ビニール袋にも入れずにそのまま渡してきたのだから滑稽だったのだと、そういったことをうとうとと話した後で彼女はせきこんだ。  静かにして、寝てなよ。もう十分、静かだったよ。  ようやく湯がわいた。冬眠前の森リスが口の中に木の実をつめるように、頬をいっぱいにしながら食べる彼女の癖のことを想像した。おかゆはたぶん、とても熱いだろうから、ゆっくり時間をかけて食べてほしかった。  彼女が僕を呼ぶ。何度も呼ぶ。コンロの火を弱めて、彼女のもとに向かう。足がかゆいのだという。彼女の足をかこうと、ベッドの中に手を入れる。と、彼女は起き上がり、僕を抱きしめて離さなかった。 「わたしのヴィールス、きみにうつしてやるんだぞ」  彼女の乾いたくちびるが僕に触れる。
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