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 温室は、人目がない。  樹木の影に隠れて、テーブルに座り、茶を楽しむ私と国王の姿は、外からは見えないはずだった。そして、国王が私の願いを聞いて兵を下がらせたように、私も、国王の手前、神官たちを下がらせている。温室は、私と、国王の、二人きりだった。 「ここは良い場所だ」 「お褒めにあずかりまして光栄です。……ここは、私が個人的に管理している場所ですので、今まで、お客様をお招きしたことはありません。むさ苦しい場所ですが、気に入って頂けたのでしたら、お連れした甲斐がございました」  心にもない言葉を口にしつつ、私は、王を見やる。  小さな円卓。それを挟んだ向かいに私達は座っている。手は、王に取られたままだ。 「しばらくあなたにお会いして居ませんでしたが、猊下。あなたは、ますます、美しくなられた。……奇跡のように、美しい。その、理由を、私にも教えて下さいませんか?」 「心を穏やかに、神に祈りを捧げる毎日を過ごしておられれば、心身共に健全になりましょう」  自分の姿を―――美しいと思うことは、特にない。ただ、周りの人間は、私を美しいものとして扱っているので、おそらく、私は一般的に美しいと言われるのだろうと、認識していた。私にとってみれば、鏡を見て、毎日同じ顔がそこにあるというだけだ。時折、隈ができていたり、むくんでいたりすることがあるものの……つまり、普通の顔という認識なので、こういう言われ方をすると、戸惑うばかりだ。  けれど、今、私は自分がたぐいまれなる美貌を持つ……ということに、感謝していた。それが無ければ、目の前のこの男を、足止めすることは出来ないだろう。この男が連れてきた兵は下がらせた。あとは、この男が、諦めれば良い。 「祈りの日々ですか! あなたは、本当に、大神官らしいことばかりを仰せになる。祈りの日々であれば、私も過ごしましたよ。日々、神に祈り、そして、神を呪いました。祝福は、我が頭上に降り注ぐことがなければ、その存在を呪いもしましょう」  ぎゅっと、国王が、強い力で私の手を握りしめる。 「さあ、お答え下さい。猊下……。最近、あなたは美童を侍らせているとか」  シンのことだろう。だが、私は、動揺を隠しつつ、静かに告げる。 「美童? この私が?」 「……そうですよ。最近、どこの馬の骨とも解らぬ、男娼上がりの男を、側に仕えさせて、毎夜毎夜、夜の時間を過ごしていると。大陸中で噂になっています。だから、あなたは、今までになく、こんなにも美しくなったのでしょう」 「私は……、誰にも肌を許したことはありませんよ」  国王が、目を剥いたのが解った。余計なことを言ったかも知れない、と思ったが、シンのことを告げず、私の潔白を告げる言葉は、それしか知らない。 「まさか、あなたともあろう方が……まだ、誰にも踏み荒らされていない処女雪の峰のような純潔を守り通していると?」  大分恥ずかしい言葉で言われたが、事実はそうだ。私は、今まで、本当に性的に潔癖だったし、性的な欲求を他者に向けたことがない。ただ、それを向けられると言うことがどういうことなのか、そして、その結果何をされるのか、だけを知っているだけだ。  無言で居た私を見て、国王が息を呑むのが解った。 「なんと……」 「私は、誰にも、触れさせたこともないというのに、なせ夜ごと、誰かを呼び出して淫蕩な行為にふけっているなどと言う、嫌な噂が流れるか……私の方が、理由を知りたいくらいです」 「それは、あなたが……皆、あなたに、そういう欲望を抱いているからでしょう」 「陛下、あなたもなのですか?」 「無論、私も……、あなたが、寵童に相手を務めさせていると聞いて、居ても立っても居られなくなりましてね。私であれば、もっと、あなたを楽しませて差し上げられるのに」  嫌悪感に吐き気がした。手を引っ張られ、無理矢理抱きしめられる。助けは―――来ない。ここは、私自身、知恵を振り絞って、逃げなければならなかった。しかし、国王は、力が強い。体格でも力でもまける私には、彼を振り払うことも出来ない。 「あなたは……美しすぎて、どなたにも興味がないのでしょう。……それであれば、快楽だけをお求めになればよろしい」  抱きしめられ、身体の線を確かめるように、大きな手が這い回る。大神官の正装は、様々な飾りがついて、複雑な着付けをしているので、容易に脱がされることはないだろうが、直接的な欲望に晒されているという事実が、恐ろしかった。私が、かすかに震えているのを、国王は、解ったようで、残酷な笑みを浮かべている。もはや、私に、抵抗らしい抵抗が出来ないということを……、悟っているのだ。 「……快楽は……、人を堕落させるでしょう」 「いいえ? 快楽を知ってこそ、人は生きる意味を知るのです。あなたも、それを知りなさい。何も考えず、私に身を任せてしまえばよろしい。この覚悟がなければ、あなたは、私を誘うようなことを、口にすべきではなかった」  あなたが誘ったことだ―――と、国王は言う。それに、反論が出来なかった。確かに、私は、彼を引きつけるために、誘うようなことを言った。ならば、身から出たさびなのか、と思いつつ、けれど、絶対に、触れられたくないという気持ちと嫌悪感がこみ上げる。 「すぐに慣れますよ」  国王は、私の手首を捕らえた。身をよじって暴れるが、びくともしない。そして空いた片手で、自らの懐を探った。刃物でも、取り出すつもりだろうか。そう、思っていたが、違った。彼が取り出したのは、小さな小瓶だった。 「……媚薬、と言えば解りますか? 一度、快楽を知ってしまいなさい」  小瓶の蓋を、彼は歯で開けた。そして、私の口の中に注ぎ込む。 「っ……っ!」  やけに甘ったるい、樹液を煮詰めたようなどろりとした感触の液体だった。吐き出そうと思ったが、それはできなかった。国王が、私に口づけてきたからだった。 「っ!!!」  無理矢理、口づけられ、国王の舌が私の口腔内を無遠慮に探る。口づけをされるのも、産まれて初めての事だった。これ以上、絶対に触れられたくない。私は、無我夢中で、口腔内に侵入していた彼の舌を思い切りかみ切った。口の中に、血の味が広がる。国王が、私の手を離した。 「……色仕掛けで」  国王が低く囁く。「私の目を欺けると思ったか?」 「なんの、ことでしょう」  口の中が、気持ち悪い。身体の芯が、熱を帯びたように熱くなっていく。 「お前が隠していることなど、お見通しだよ。大神官」 「ですから、何の話でしょうか? いきなり、おいでになって……、せっかくおもてなしをしようと思っていたのに、こんな無礼をされるとは思いませんでした」  国王は、クックッと身をかがめて笑う。 「まあ、また、お前のそういう気の強いところは、嫌いではないが……少々、かわいげが無いのも確かだな」 「なにを……」 「……まあ、いいさ。ここへ来て、大体のことは解った。お前が、隠したがっているモノがあるというのは解った。身体を差し出してまで、守ろうとしたんだろう? なかなか、けなげではないか」  血の気が引いた。顔に出ているだろうか。取り繕う為に、笑顔を作る。 「私が、何を守ると?」 「いやいや、お前は、中々、面白くなってきた。どうせなら、こちらへ堕ちてしまえ。神などくだらないぞ。肝心なときには何にもしてくれるわけでもない。……異世界人は、私にこう言っていた。あちらでは、こんな言葉があるらしい。『神は死んだ』と。なるほど、それはいかにも正しい。彼らがなぜ、この地に来るか解るか?」  私は、その言葉を聞きたくないと思った。神は、死んだと言うなら、それに仕える私は、どうなるのだろう。だが、国王は、残酷な言葉を止めることはなかった。 「……彼らの世界でも、かつては神を冒涜することが、最大の冒涜だったという。だが、その神はすでに死んでいるのだから、冒涜もしようがない。冒涜の先が無いのだ。神よりも、彼らが優先するのは、彼ら自身のことだ。大地と地上に生きて、目に見えるものたちだ。確かに、神の名の下に、今まで、どれほど愚かしいことが行われてきた!」  言葉が、鋭い刃のように私を切りつけていく。私から、生きる意味を奪い、この男は何をしたいのか。私を、単純に、傷つけたいのか。私を含めた、神殿と神自身を、傷つけたいのか。そうやって、……。 「誰かを呪って生きていくのですか?」 「はっ?」 「あなたの言うことは……あなたが、奪った異世界の民たちがそう言ったのであれば、異世界には、もはや神は居ないのでしょう。だれかが、神殺しの罪を負ったのかも知れませんが。  けれど、仮に―――この世界に、神が居なかったとして、私は、目に見えないものを大切にするでしょう。そして、それは、あなたには関係の無いことです」  彼の、金色の目が怒りに揺れているのが解った。私も、意識が朦朧としてきたが、神が死んだとして。それでも、私は変わらないと思った。そして。 「あなたは、神が死んだと言う言葉を、素直に受け取るほど……神を信じて裏切られたのですね」  これは、多分、言ってはいけない言葉だったのだろう。  彼が、私に手を伸ばした。無遠慮に、彼の手が、私の首に巻き付いて、ぐいぐいと締め付ける。意識が、遠くなっていく。その間、国王は何かを叫び続けていた。温室の異変、に気がついたらしき神官が、駆けつけてくる足音が聞こえる。  問答無用で、彼らは剣を抜いた。鞘走る音、そして風を切る刃の音を聞いた。そして、私は、唐突に解放され、地面に転がる。私に神官が駆け寄った。私は咳き込んでいて、話すことも出来ない。涙がにじむ。見上げた国王は、私を見て、呆然としていた。これは、彼にとって、想定外のことだったらしい。 「……国へ戻ります」  馬車を、と言おうとしたが、それより先に「一人で戻ります。馬をお借りしたい」と丁重に告げて立ち去る間際に、「ご無礼を致しました。後ほど、謝罪を」とだけ言い残して、去って行った。
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