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 テシィラ国の国王が闖入してから早一月。今度は、国王は、正式な使いを出して私への謝罪を申し出た。端的に言えば、軽率で無礼な振る舞いをしたことを詫びるような内容で、私は、副神官長のスティラに命じて代筆させた。こちらも、当たり障りのない内容だ。こちらに非があるとは思えないが謝罪は受け入れるが、今後、本件について蒸し返すことがないようにだけ釘を刺した。通常、代筆をさせた場合でも署名だけは自分で入れるのだが、今回に限っては、それも代筆させた。あの男と関わり合いになりたくない。それが本音だ。  ずいぶん固い対応をした物だとは私も思うが、あの男は気に入らない。シンのことは気づいているのだろうし、素性も解っているのだろう。『男娼上がりの』という言葉が出てきた。私の身辺に、間者でも居るのかも知れない。  私はシンが、今日も空を見上げているのだろうと思って、庭園へ出た。飽くことなく、彼は日課のように空を見上げる。以前彼の語った、『異世界の様子を知ることが出来る機械』については、彼はその後語らなかった。そして、彼が、異世界のことを話すのも少なくなっていた。六百年前の翻訳については、時折上がってくるが、「少し内容が難しくなってきた」ということだった。ただ、異世界の民が召喚される時、世界に新しい考え方がもたらされるのだということだけは解った。その言葉を聞いたとき、私はテシィラ国の国王が語ったことを思い出して、心が冷えるような気持ちになる。 『神は死んだ』と。国王は、異世界の民から聞いた、と語った。私は、それを、シンに確かめることが出来ない。シンに、同じことを言われたら、私は、立っていられないような気がしたからだ。  シンは、いつも通り、庭に居た。いつも通り、空を見上げている。私は「シン」と呼びかける。少しだけ遅れて「ああ、大神官様」とシンが振り向く。私は、この瞬間、異世界へ飛び立とうとしていたシンを、地上に引き取れることが出来たような、気持ちになる。 「どうしたんですか?」  そして、シンは、私を相変わらず、名前で呼ぶことはない。私に、興味がない―――と言うことだろう。それは、解っているが、マーレヤやスティラのように、名前で呼んで欲しい私が居る。私の尊厳のために、他の者と喧嘩までしたあなたが、なぜ、私を、役割だけで呼び、私自身の名を呼ばないのか。それは、理不尽ではないか。そう思うが、口に出すことは出来ない。拒否されるのが、怖いからだ。 「私も散歩です」 「ああ、そうなんですか……そういえば、テシィラ国から使者が来たと聞きました」 「ああ、あの国王が、形ばかりの謝罪を」 「丸く収まったのならば良いですが……、大神官様が無茶をするといけないので」  はは、とシンが笑う。彼が笑うとき、やはり、私には拒絶を感じる。 「あの男は、異世界の民について、少し語っていました。神は、死んだと、異世界ではそう言われていると……」  私にとって、聞きたくないことを口にした。この言葉を、私がどれだけ、シンに肯定されたくないか、シンには想像もつかないだろう。私の存在意義に関わる言葉だ。シンは、少し考えてから、言う。 「有名な、学者の有名な著作の一節だったと思います。思想家? というのかな。その言葉だけがものすごく有名になって、皆が差の言葉を知っているけど、その言葉を言った人の真意とか著作まで、皆が読んでいるわけではないというような……。  ただ、神様がいないって言う方が気分が楽な人と、神様がいる方が気分が楽になる人がいるとは思いますよ。宗教は、数え切れないほどありましたから」 「神が居ないというのは……」 「……Gott ist todt! Gott bleibt todt!     Und wir haben ihn getödtet!   だったかな。授業で覚えさせられたんだ。俺の国の言葉ではなくて、別の国の言葉……。『神は死んだ。神は死んだままです。そして私達は彼を殺しました』……だったかな。でも、俺の国は、神様も一人じゃないし、世界中に様々な宗教があって、違う神様を頂く人たち同士で戦争をやったり、いろいろあった」  神は死んだ。そして私達は彼を殺した。その衝撃的な語感に、呼吸が一瞬詰まるような感覚を味わう。 「……あんたにしてみたらさ、神様って、いつでも側に居る存在なんだと思う。それが、居ないとか、殺されたとか言われたら、そりゃ、辛いだろうよ。テシィラ国の国王は、そんなことをあんたに言ったのか?」  黒曜石の瞳が、私を見ている。あの国王の、猛禽のような目つきではなく、シンの眼差しは、私の心の奥まで、些細な言葉まで見逃さないとするような、真摯な、眼差しだった。私は、視線を逸らすことも出来ずに、シンの視線を受ける。 「……はい、あの人は……」 「その言葉は、あんたへの呪いだ。だから気にするな」 「呪い?」 「そう。あんたの信じて居る神様はすでに死んだ……そう、異世界の人は言っている。これは、あんたと、あんたが信じて居るものを分断するための呪いの言葉だ。だから、こんな言葉に惑わされる必要はない」  キッパリと、シンは言い切る。私は、この言葉に、大分、救われた気持ちになった。 「あなたは? あなたは、神がいると思いますか?」  おずおずと、私が聞くと、シンは、明るく笑う。この笑顔だけでも十分だったが、彼は私の為に、言葉にしてくれた。 「勿論居ると思ってるし、俺の国ではいろいろな場面で、神頼みをする風習があったよ。それに、もし、神様がいなかったら、俺は、ここに来て、あんたと出会ってないと思う」 「私達が」 「そう。お互い違う世界の人同士が出会うなんて、神様が引き合わせてくれなかったら無理だろって」 「確かに、それは、そうですね」 「だから、間違いなく、神様ってのは居ると思う。あんたが信仰してるのがどんな神様か、解らないけど」 作中引用https://de.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Nietzsche#%E2%80%9EGott_ist_tot%E2%80%9C_%E2%80%93_Der_europ%C3%A4ische_Nihilismus
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