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 彼を神殿に召喚してから、三日経った。彼は、概ね静かに、図書館で過ごしているらしい。 「起床時刻は、日の出の鐘と共に。それから、神官たちに交じって早朝の勤めを果たした後に、朝食、そこからは一日図書館。たまに、庭園を散策しているが、殆ど図書館で過ごし、深夜の鐘が鳴ってから、沐浴を済ませ部屋へ戻って就寝する」  報告を受けたとき、私は目を疑った。我が国の平均的な庶民でも、食事は一日に二回か三回を採る。神官たちも、その通りで、週の半分は食事が二回、それ以外は三度、食事を食べる。 「彼に食事を勧めなかったのですか?」 「いえ、食事の時間だとお誘いしたのですが」  報告をあげた神官が、身を縮ませて私に言う。しかも、話を良く聞けば、食事は、上位聖職者たちと一緒ではなく、下位の神官たちと一緒に摂っていたという。私は、下位の神官たちの食事について良く知らないが、質素なものであるということは聞いている。 「下位の神官たちは何を食べている?」 「えっ」神官たちは、顔を見合わせて、それから答えようとしない。私は、再度同じ質問をすることに苛立ちながら、再び、問う。 「その……、今日は、豆のスープでした」  私の食事と、大分内容が異なる。はっきりと豆のスープだと言い切らなかったことも、少々引っかかった。私の朝食には、少なくともパンは毎日ついたし、その他に、塩漬けの肉がついた。それとワインがついている。豆のスープだけ、という簡素な食事を一日に一度だけ食べているというのが信じがたい。異世界人は、食が細いのだろうかとも思ったが、あの貧相な体つきを見れば、食事が不足していることは明らかだ。 「もう少し食事を取るように言いつけておけ」 「実は、その、私達も、そう申し上げたのですが……」  神官たちが口ごもった。なにか、事情があるようだった。私に、事情を説明しづらいことがあるのだろう。上位の神官と、下位の神官は普段、交わることはない。下位の神官たちは上位の神官に仕えるもの。使用人という立場である。 「少なくとも、彼には、上位の神官たちと……」 「すみません、それは出来ません」  私の言葉を遮って、神官が言う。出来ない。どういうことか。私は、神官をじっと見つめた。何かを隠している。ただ、それは、上位の神官のところで彼が食事を取ることが、不都合があること。そして、彼の食事の回数にも秘密があるようだった。面倒なことこの上ないが、彼は、大切な『客人』である。相応の礼節を持って遇しなければならない。 「なにか変わったことがあれば言うように」  面倒なことになったものだ。私は、彼にどうやって上位神官たちと食事をさせるか、思案しなければならなくなった。私と一緒に食事を取ろう、と誘うのはたやすいが、おそらく、私が同席している状態では、問題が起きないのだろうと言うことも、薄々察することが出来た。  子供じみた、いじめのような知能の低いことを上位神官たちが行っているとは思いがたかったが、現時点で推測するに、それが一番、近い答えなのだろう。異世界の民と言うだけでなく、彼は、男娼という、この国において最も地位が低く、名誉もない職に就いていた。彼がいくら『職業に貴賎はない』と言っても、この国のものたちはそうではない。おそらく、嫌な思いをしていることだろう。  私は思案して彼に、一緒に食事を採りたいと申し出ることにした。私は、平素は自室まで食事を運んで貰っているが、上位神官たちと一緒の食堂で採ろうということを申し出るつもりだ。それで何か探ることが出来るだろう。彼は、図書館に居ることが多いと聞いた。なので、私は執務の隙間に、図書館へ行くことにした。私の執務室のあるのは、大聖堂の西に作られた居館で、ここには大神官とその側近しか住まない。賓客が宿泊することもあって、居館には沢山の部屋があり、内装も優美なものだった。貴族の館に匹敵すると言って過言でないだろう。  図書館は大聖堂の北にある。この大陸で最も古い図書館として名高い、大図書館には、古の時代、すでに滅びた国の言葉で書かれた書籍なども収蔵それており、各国の知識人たちが閲覧するためにわざわざ訪れる場所でもある。彼は、問題なく、我々の言葉を話していた。おそらく、読み書きは出来るのだろう。居館をこっそりと抜け出して、大聖堂へ向かう。その道すがら、声が聞こえて、思わず耳を傾けてしまった。 「また、あの男娼、図書館に居座っているらしいな」 「あそこに逃げ込まれたら、誰も手を出せないのを解ってるからだろ」 「まったく、ずる賢いヤツだな」 「本当だ。男娼なら、おとなしく、ここでも男娼をやってれば良いのにな」 「ああ、昔はあったんだろ? ……公娼っていう制度」 「案外、大神官様のお気に入りだったりしてな」 「バカ言え。大神官様は、ご自分以外だれにも興味なんかないさ」  血が、凍るような嫌な感覚を味わった。私に関する評価は、ともかく―――彼は、やはり、男娼と見くびられ、そして、ここで襲われたか、なにか、事件があったのだろう。そして、図書館へ逃げ込んだ。図書館は、区分ごとに、出入りに許可が要る。彼には、神殿のあらゆる場所に立ち入ることが出来るよう、あらかじめ計らっておいた。それが功を奏したと言える。  彼は、最初に会ったとき、やけに笑顔を浮かべていた。あの、笑顔が、歪むのを想像して、胸が悪くなる。彼は、自身の職業に誇りを持っていた。であれば、彼自身、相手をしっかり吟味して、夜の相手を務めていたのだろう。無体を強いられるようなことは、されていないだろうから、ここで、彼に危害を加える者が居ることを放置していたのは、私の落ち度だった。  あの者たちのような軽口が、おそらく、神殿中で囁かれているのだろう。それは、腹立たしい。私の気に入りの男娼あつかいというのも、気に入らなかった。大神官という立場のせいではないが、私は性的に潔癖だった。性欲らしい性欲を、殆ど感じたことはない。修行で、煩悩や性欲と戦う必要もなかった。なににしろ、先ほどの馬鹿どもの言うように、私は、おおよそ私のこと意外に興味がないのだろう。大神官になるべく生まれついて、そしてその任務をつつがなく果たすのが私の役目と考えれば、何かに対して興味を持つという欲求は、自然と希薄になる。  私は、小さく、咳払いをした。馬鹿どもは、私の存在に気づき、顔を青くして、一目散に逃げ去っていく。私は、背後に目配せした。私には、私が望もうが望まなかろうが、常につきまとう、影のような、護衛がついている。そのものに、先ほどの馬鹿どもの素性を調べるようにうながしたのだった。噂話くらいは、通常ならば許すだろうが、今回は、神殿内の秩序にも関わるだろう。表だって、罰を与えなければならなかった。
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