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「あなたが、シンの情報を……あの国王に渡していたのですか」  声が、笑えるほど震えていた。  マーレヤは、私の目の前で、薄く笑う。それが、何よりも、確かな肯定だった。目の前が暗くなるような目眩の中、マーレヤは、笑っている。朝焼けに照らされて、燃えゆく世界の中で、笑っていた。 「なぜ」 「あとは、スティラ様に聞いて下さい。……猊下(げいか)、これをどうぞ」  マーレヤは、私に首飾りを差し出した。恋人から貰ったという『愛の証』だ。なぜ、と、問うよりも早く、マーレヤはうごいた。影がうごいたが、それも、間に合わなかった。私の視界が、緋に染まった。真一文字。マーレヤが喉を、鋭い刃物で切り裂いたのだった。 「誰かっ! マーレヤに治療を!」  私も、治癒魔法をマーレヤに掛ける。けれど、マーレヤが私の手を拒んだ。 「あなたを、死なせません!」  マーレヤの口が、小さくうごく。けれど、その口からは、こぽ、と音を立てて血が漏れただけで、声にはならなかった。私の『影』たちが、動く。一人は私の側に残ってマーレヤの治療に当たったが、マーレヤの菫色の瞳は、焦点を失っている。  なぜ。  私は、唇を噛みしめる。血が、出るほど、きつく、噛みしめた。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ!!!  失われようとするマーレヤの命をつなぎ止めたくて、振り払われた手を掴んで今度は離さなかった。マーレヤから預かった『護符』が、熱を帯びる。その、奇跡の力があるならば、いまこそ、その力を発揮して欲しかった。 「マーレヤっ!!!!!!」  私の絶叫を聞いたマーレヤが、顔を歪めて笑う。今まで、見たこともないような、嫌な表情だった。そして、もう一度、私の手を振り払い。そして、私の『影』が告げた。 「……もう、絶命しました」  私は、再びマーレヤの手を取った。次第に、けれど、急速にマーレヤの手から体温が奪われていく。死んだのだ。私は、その、現実に打ちのめされそうになりながら、たち上がる。もう、二度と、マーレヤは、私に語りかけることはない。親しげな口を利いて、私を和ませたり、私を安らがせることはない。視界が、歪む。私は、一度目を閉じて、深呼吸した。泣いている場合ではない。 「……の所持品と身元を再度洗い直しなさい。速やかにスティラを私の部屋に招集。本日の朝の勤めは、神殿長が執り行いなさい。本件は、しばらく伏せておくこと。私の身辺には、影を二人残して、シンにも一人影を付けなさい。スティラにも。私は、一度部屋に下がります」  それだけを口早に命じて部屋へ下がった瞬間、私は、床にへたり込んでしまった。いちど、呼吸を整える。スティラが来るまで、ほんの少しだけ時間はある。その間に、私がやるべきことは身支度を調えることではない。必要な資料を出しておくこと。マーレヤから得た情報を書き留めること。  涙がにじむが、唇を噛んで堪える。私は、ここで、自分に、泣くことを許してはならなかった。  マーレヤというのは、彼の、本名。おそらく、通称は違うのだろう。そして、普段は名乗らなかった名前に違いなかった。そして、何故か、シンは、それを知っていた。神殿の情報を流していた内通者。それを、死なせてしまったことは、私の、落ち度だ。生きていれば、なにか、聞くことが出来たかも知れないし……いや、語るつもりはないだろう。  最後の彼の質問を想い出す。 『神殿の為ならば、どんなことでもなさるのでしょうか』  あの言葉対する答えを、私は間違ったのか、正解だったのか、それは解らない。けれど、あの質問が、マーレヤに死を選ばせた。それは、間違いないだろう。 「大神官様っ!」  スティラが取り乱して私の部屋に駆け込んできた。 「……箝口令(かんこうれい)と、巡礼者の巡礼禁止、神殿領の封鎖は?」  特に命じてはいなかったが、スティラならば、それくらいはやるだろうと思っていた。 「それはつつがなく手配済みです」 「では、手短に、マーレヤに関する調査結果を」  スティラが、私の姿を見て、唖然としている。マーレヤの返り血を浴びて、私は、血まみれだった。その血も、もう、乾きつつある。 「お召し替えは……」 「今はまだ良い」 「……畏まりました。あの者、普段、神官たちにはマーレヤではなく『アルナシス』と名乗っていたと言うことです。神殿への届け出は、マーレヤで間違いありません。ですが、出身地に少々、問題が」 「なんです」 「ラドゥルガです」  そこは、消えた地名だった。 「出身は、テシィラ国ラドゥルガとありました。当時の、担当者は、なにも疑問に思わなかったそうです。テシィラ国のすべての地名を知っているわけではないし、そういう場所があるのだろうかと思っていたと」  ラドゥルガ。  神殿が、この世から消した、土地。そして、テシィラ国の国王の態度が、激変した土地。 「……ラドゥルガについては?」 「神殿が、戦略上消したそうです。当時の作戦内容だけが、なんとか、暗号になって残っているのを発見しました。ここには、聖遺物があって、それをテシィラ国が独占しようとしている、と神殿が訴えたそうです。テシィラ国は身に覚えのないことでしたから……それを、否定して、やがて戦になりました、……ところが、ある日、この土地を聖遺物ごと、住民ごと、燃やし尽くしました。すべてが灰燼に帰したのです。そして、神殿は、それをテシィラ国の仕業だといい、テシィラ国は神殿の仕業だと言いました。それで、戦争が悪化したのです」 「住民は一人残らず死んだのですか?」 「……当時、あそこにいたものならば、生きていることは出来ませんでした。記録によると、死体は炭化していて、触れたらすぐに崩れてしまったと言うことです。身元の確認など出来ませんでした」 「どうやって、そんなことが……」 「聖遺物です」  スティラが、苦々しく言う。「……神が、人の世に落とした神の武器。それを使ったのです」 「いま、その聖遺物は、どうなったのです」  スティラの顔が、歪む。唇を噛んでいた。それから、やがて、観念したように苦々しく、呟いた。 「この神殿の地下に保管されています」 「……誰でも、使うことが出来るのですか? 破壊は……?」 「破壊は不可能です。そして、使用は、まだ、出来る状態でしょう。ただ、どうやったのかが、解りません」  スティラは、おそらく、それを、確認したのだ。顔色が、悪かった。私は、呼気を整える。 「大神官以外のものにも使うことが出来るのならば、その存在は、何があっても他国に知られてはなりません」 「いいえ、大神官様……テシィラ国の国王は、これを知っているのです。三十年、三十年かけて、この機会を、伺っていたはずです」  あの男の、金色の瞳を想い出した。  あの男の理由を知らなければ、なにも、解らない気がした。 「……神を、呪った……」 「えっ?」 「いえ、あの男が言ったのです。神を呪ったと」  あの男の理由は、そこにあるのだろう。聖遺物の力を使った神殿を恨んだ。そしてその力を授けた神を呪った。 「あの男のことは、何か解りましたか」 「すみません、まだ、解りません」  三十年前の、恨みは。今の私に責任は無い。そう言ってしまうのは、簡単なことだった。けれど、過去において、未来において。大神官、という職責の下に行われるすべては、私にも責任があるのだ。継承した私の責任であり、それを次代につなげるならば、当代で断たなかった私の責任が。 「どうしますか、大神官様」 「……予定通り、弔いの式典の準備を。その際、テシィラ国の国王と、会談します」 「大神官様っ!? あの男に……、何をされそうになったか……」 「問題ありませんよ。そうなったら、私は、舌を噛んで自決すると、シンと約束しています。私は、約定を違えません」  あの男が、私と会うか―――その方が問題だった。 「あと、シン様から聞きましたが……」 「はい?」 「おそらく、シン様が、この世界に出現した場所ですが……シン様は森の中、と仰いましたが、おそらくラドゥルガです」
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