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「似合いますよ、その装束」
私は、大神官が着用する装束を身に纏ったスティラに、心からそう告げた。スティラの方は、非常に不満げな顔をして、
「これは、私ではなく、大神官様の装束ですのに」
とブツブツと文句を呟いている。
「諦めて下さい。スティラ……いいえ、大神官猊下。それと、私のことは、ただのルセルジュと」
「私の中で、あなたは、永遠に大神官様ですっ!! 第一、全世界から魔法は失われたわけですし、あなたが……大神官を引退されずとも良かったではありませんか」
ぐすぐすと、スティラは泣いている。いまから、大神官の就任式だというのに、締まりのないことだ。私は苦笑する。
あの日。
世界から魔法が失われたあの日。あの日から、世界は多いに混乱した。そして私は、事後処理に追われた。三年間、という期限を設けて私は、世界を立て直すために身を粉にして奮闘した。だが、それも、三年だ。その間に、私は、ラドゥルガの件、テシィラ国の国王の件などを全世界に向けて正式に謝罪した。テシィラ国は、ラーディイレヤ前国王の子息が国を継ぐことになり、その遺灰について、私が譲り受けることになった。
ラーディイレヤ前国王と、マーレヤとその恋人の遺灰は、ラドゥルガに持っていくつもりだった。ここで、静かな余生を過ごしてくれることを、私は、心から願っている。
私とシンは、神殿を出て、世界中を旅したあとは、おそらくラドゥルガで過ごすのではないかと思う。もしかしたら、神殿に戻って、スティラの手伝いなどをするかも知れないが、今の時点では、何も解らない。
スティラは、本日、大神官に就任する。
私は、その就任式の間に、そっと神殿を出るつもりだった。シンと共に行くならば、私は、何も怖いことはない。たまには、喧嘩をするかも知れないが、それも構わない。私は、心の中でスティラに(さようなら)を言って、シンの待っている門のところへ向かった。
門番は、相変わらずサジャル国のレダルが担っている。私達が出て行くのをしって、泣きながら見守ってくれ、サジャル国の『旅人の守り』というのを私に持たせてくれた。よく磨かれた、金色の石だった。あの瞳を想い出して、少し、胸が苦しくなる。
神殿は、三年ぶりに華やかな催しを行っている。各地から巡礼が来て、人で溢れているし、あちこちに花が飾られ、式典の会場からは、賑やかな音楽が聞こえてきた。私は一度振り返って、神殿を見やる。いつも通り。神殿は、そこある。そして、これからも、そうあるために、スティラたちが尽力するだろう。
「行きましょう」
私とシンは、歩き出した。
「……ラドゥルガまでは、どこかで一泊しなきゃならないが、今は巡礼が多いから、宿も空いていないかも知れないな」
「なら、野宿しましょう」
「まあ、できるだけ野宿は避けた方が良いがな……最悪、どこかの軒先でも借りよう」
私は神官の長衣ではなく、この世界の旅人がよく着るような、短衣に外套を羽織っている。シンも同じだ。まだ、この装いに慣れないが、いつか、慣れるだろう。
「……それにしても、よく、ここまで回復した」
シンが、感慨深げに呟く。魔法力がなくなったとき、世界は混乱した。今まで、ありとあらゆるものが、魔法力で動いていたのだ。それこそ、火をおこすのも、灯りも、物資の運搬も、である。人々は、生活の術を失ったのだ。木を切り、火をおこす。それで湯を沸かす。煮炊きする。火でパンを焼く。そういうことのすべて、手探りだった。
これが神殿のせいだと知った民衆は、大挙して神殿に詰め寄ったが、無駄なことだった。世界が滅びるか。全員が生き残るか。それを天秤に掛けて、全員が生き残る道を選んだのだ、と私は何度も説明する必要があって、世界中、行脚もした。石を投げられたり、唾を吐かれたこともあったが、それでも、みな、三年の間に、諦めて適応したようだった。勿論、『昔は良かった』『大神官が魔法を奪った』という言葉は、まだあるだろうが、その声は少数派になったのだ。
「無事、『聖遺物』も使えなくなったみたいだし」
「ええ」
聖遺物の一つである転移装置を使ってみようとしたが、なにも作動しなかった。そして、封印されていた『聖遺物』も、全く動作しなかった。そして、誰かが蹴り飛ばしたら、さらりと砂になって消え失せてしまった。各地にある『聖遺物』に人を派遣して、こうやってすべて壊したので、問題ないはずだ。
「やるべきことはやりました」
それだけは、胸を張って言える。今回の件は、すべて私の手記に詳細に記してある。後世の人々が、私の時代に何が起きたか、それで知ることが出来るはずだった。
「……それにしても、私は、かつて、あなたを、あなたの世界に送り返したのでしょう? なぜ、戻ってきたのです」
「だから、幸せになるためにだよ。今度こそ、あんたと一緒に幸せになるためだよ、ルセルジュ。本当に、前回は、どうしようもない破滅になったんだ。だから、間違わないようにしたんだ。この選択は、間違っていない。あんたこそ、どうなんだよ。ルセルジュ」
シンが、私をじっと見つめる。黒曜石の眼差し。私だけを見つめる、眼差し。
「あなたが幸せなら、あなたがどこにしても、構わない……なんて、口ではいっていましたけれど。私は、欲張りなんです。あなたが、故郷捨ててでも私を選んでくれたことが嬉しい。そして、私は……異世界から来てくれたあなたの手を、どうしても、離せないのです。あなたが、離れたいと言っても、離してあげられません」
シンが笑う。
「奇遇だな。俺だって絶対に、あんたの手を離せないよ」
シンが、私に手を差し出す。私は、その手を、しっかり握り返す。二度と、この手を離さないと、胸の中で瀝いながら。
私達はそうして手を繋いで、出発した。
神殿から歓声が聞こえてくる。
新しい時代を迎えたことを祝福する声だった。
了
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