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 僕が通う大学から少し離れた私立大学に通う菜乃花ちゃんと出会うことができたのは、大きく分けて二つの偶然が重なってのことだ。一つは、僕らがそれぞれ軽音サークルに所属していること。次に、その二つのサークルが合同ライブイベントを行ったこと。  その日のトリを務めたのが、彼女が所属するバンドだった。  荒々しいガレージロック系の音楽を演奏するバンドで、ドラマーである菜乃花ちゃんはバンドで唯一の女性だった。  縦横無尽にステージ上を駆け回る他の三人と違い、巨大なドラムセットに隠れた彼女の姿は、他の三人に比べて視覚的に目立っていたとは言い難い。  けれど、演奏を支配していたのは間違い無く彼女だった。  曲の展開に合わせてテンポを揺らし、観客の感情と会場の空気を操る。ライブハウスの時間の流れは、時計よりも彼女の刻むバスドラムの音に決定づけられていた。  どれだけボーカルが前でシャウトをしようとも、ギタリストが巧みなソロを決めようとも、曲を支配しているのは彼女で、前の男三人は彼女の敷いた地平の上で踊っているにすぎなかった。  一曲目の演奏が終わり、会場が拍手と歓声に包まれる中、僕は放心状態で彼女を見つめていた。  汗だくの頬に、墨で描いたような黒髪が数本張り付いている。入浴直後のような色っぽさ。演奏中は魔術師のように深遠なオーラを纏っていたその彼女の顔に、あどけない笑顔が浮かんでいる。  ボーカルのMCが始まった直後、彼女がペットボトルを手にとって水を飲んだ。細く白い喉が、客席から見てもわかるほどに大きく波打つ。その様子を見ながら僕は、彼女の唾液が混ざったミネラルウォーターの味について妄想した。  ——その日の打ち上げにて、僕は持てる知能を総動員して彼女に接近し、連絡先を交換した。
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