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「よ、久しぶり」
彼から声をかけてきた。少し驚いた。
人の少ないカフェで、まあ駅前だから偶然だったんだろうけど、寄りにもよってこんなところでって感じだった。
「え、ええ、元気だった?」
「俺にそれ言う?まり子は相変わらず意地悪だなあ」
「いままでなにしてたの?」
「それ聞く?いやマジありえないっしょ」
そう。たかしはずっとこんな感じの軽いやつ。
二年前、わたしはこいつとつきあっていた。ええ、そうよ、恋人同士だった。最初は優しいひとだった。だがやがて本性を見せた。こいつはどうしようもないクズだった。
「なあ、あと二百万、絶対絶対必要なんだよ」
「そう言ってもう二千万円も渡してるんじゃない」
「だからもう少し。だってそれねえと俺死んじゃうんだよ」
「もうあんたに渡すお金なんてないよ」
「おまえ婆ちゃんがいるだろ?何でも言うことを聞いてくれる婆ちゃんがよ。なあ頼んでくれないかなあ。じゃないとお婆ちゃん、死んじゃうかもよ」
わたしはこのときこいつを殺そうと思った。こいつはダニだ。ひとの生き血を吸いまくるだけのクズだ。死んだほうがいいんだ。まあとにかく殺したかった。
だけど殺そうと思ったって、人間そうは簡単にひと殺しはできない。そういうのはどこかおかしくならなけりゃ無理だし、だいいち、人を殺したら、そりゃすぐ捕まって刑務所に入れられる。日本の警察は優秀だ。あっという間に犯人は見つかるだろうし。
だからお婆ちゃんは死んだ。どこの誰だかわからない強盗に襲われて。でもわたしは知ってる。やったのはこいつだ。たかしに決まってる。あの晩、こいつは血のついたスエットで帰って来た。なにごともないような顔をして、そいつをゴミ箱に捨て、そうしてあたしを抱いた。いつもより興奮してた。あたしはなんだかわからず、身を任せながら、それでも心は冷めていた。
お婆ちゃんの死を知ったのは翌日の昼だった。
だから殺した。睡眠導入剤。なに、簡単だった。眠っている人間を殺すなど、たやすいことだ。死体はマンションの浄化槽に放り込んだ。浄化槽なんてメンテナンスなんかほとんどされない。見つかりっこない。
何か月か過ぎ、わたしはそんなことさえ忘れてきたころだった。
「俺はよ、おまえに殺されてさあ…」
たかしは青白い顔をしてあたしにそう言った。目の前のショコラ・オランジュケーキに目もくれないで。まあ幽霊なんだからしょうがないか。
「だからなによ」
あたしはそう言ってやった。
「てめえ、このままで済むと思うなよ…」
たかしは死霊になってようやくその軽さが抜けたみたいだ。だがもう遅い。
「あんたもね」
「はあ?」
すうっとあたしのお婆ちゃんの顔が見えた。そうして、そのか細い手が、たかしの死霊となったからだにまとわりついて、そうして闇に引きずり込んで行った。お婆ちゃん、ありがとう…。
駅前のカフェは何ごともなかったように、ただ静かに時を過ごしていた。
「ごめん、待った?」
いそいできた風の若い男がカフェに飛び込んできた。そうしてわたしの席の前に座るとそう彼は言った。なによ、もう三十分も遅刻だぞ。
「ううん、あなたを待っている時間も、わたしは楽しいのよね」
「そ、そうかい。なんかうれしいな」
「で?どうしたの?急に呼び出したりして」
「それがさあ、じつは俺の会社がいまヤバくてさあ。俺も出資してるんだけど、あと百万さえあれば潰れないんだよ。なんとかならないかなあ」
またお婆ちゃんの出番だ。ああその前に、どう殺すかな、こいつを。
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