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眼下に広がる宵の街は美しい。
常に宵の中にある街は、どこもかしこも紺青色を帯びている。細く入り組んだ裏路地、家々の軒先、子どもたちが遊ぶ公園。
全て宵に包まれているこの街で、人も人でもないものも一様に暮らしている。
月がこの街を照らすことはあっても、陽が照らすことはない、この街で。
「不思議な街……」
その一言で表せるものではないが、睦の中には他に相応しい言葉はなかった。
睦は少し考えて、常盤屋に問うた。
「日が、登らないということは花も咲かないの?作物はどうしてるの?」
「睦は、賢いんだな」
「そんなことはないけど……」
睦は常盤屋の背でもごもごと言う。
「宵の街と対をなす街があるんだ。明けの街という。そこでは、夜は来ない。宵の街と明の街は二つで一つ。明けの街では作物がぐんぐんと育つ。明けの街から作物が来て、宵の街で加工する。加工したものは明けの街に。そんな具合で回ってるんだ」
常盤屋はそう言って、大楠木の根に近づいた。
「この大楠木がここまで大きく育つのも、根が明けの街と繋がっているからだそうだ。ヨルガオやカラスウリなんかはこの街でも咲く」
「へぇ」
「今は、冬だからそれさえも見れないけどな」
「季節は巡るんだね?春宵、夏宵、秋宵、冬宵で分かれていても」
常盤屋は頷いた。
「そうだ。睦も具合が良くなったら、出かけてみればいい」
「うん」
睦は常盤屋の背に頬をぺたんと当てた。広く、大きい背だ。これは、あの時の背だ。ほうっと安堵のため息をついたあの背だ。
「睦?疲れたか?」
「ねぇ、なぜ貴方はおれを拾ったの」
常盤屋は黙り込む。睦はつい尋ねたが、そうだよな、問われても困るかと「なんでもない」とつぶやいた。
「でも、いつか教えて」
睦はそう言って、ほうっとため息をついた。
睦は12の時の兄しか知らない。兄は今、どんな背をしているのだろうか。もう骨でも折らないと、おぶってもらえるような年でもなくなってしまったなぁと思いながら、睦は目を閉じた。
翌日から、睦の体は調子が良い日が増えてきた。それもあって、常盤屋は時々、古書店を開けるようになった。
常盤屋古書店には、和綴の本から洋書まで実にさまざまな本が所狭しと並んでいる。一階が主に古書店で、2階からは常盤屋の居所ではあるが、露台に面した間は茶を飲みながら本を読む客用のスペースとなりつつあるようだった。
古書店はそれなりに繁盛しているようで、一見人に見えるものも明らかに獣であるもの、鬼や妖怪なようなものもよく訪れた。太助も薫習も、古書店の常連でよく来て睦の様子も見に来るようになっている。睦も好きに読んでいいと言われ、調子が良いと日がな一日本を読んで過ごすこともある。
そんなある日、店主の常盤屋に用だという少女が訪ねてきた。常盤屋は少し出てくると言って不在で、睦はいささか慌てた。
3階の露台から、少女に声をかける。
「あの人、今いなくて!」
睦が3階から地上に声を張り上げるのに対して、少女はよく通る声で睦に答えた。
「そうなん。ほな、中で待たせてもろてもええ?」
睦は家主の不在に許可しても構わないのか悩んだが、どうせ店は開けっぱなしなのだとぶんぶんと頭を縦に振って頷いた。
「綺麗な声の人だ」
顔は宵の中でよく見えない。だが、届いた声はよく澄んでいて睦は少し胸がどきどきした。
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