宵の街

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宵の街

 (むつむ)は12歳。  兄、(めぐむ)が失踪した時と同じ歳になった。  両親は、兄が消えてからというもの、睦を一心に愛している。それはもう偏愛的に。やり直そうと、今度こそ失わないようにと、まるで間違い探しをしているようだ。  睦は兄ではないのに。  睦だって、兄を愛したいのに。    兄が消えた時、睦は5歳だった。  何もできなかった。  兄を最後に見たのは、睦だ。  あの日、朝目覚めた時にはすでに雪が睦の背丈ほども降り積もっていて、それでもなお降り続いていた。睦は、雪の仄かな明るさで目が覚めたのだ。  両親は起きるなり、家の前の道の雪かきを始めた。睦は風邪をひかぬようにと、パジャマの上に半纏を着せられ、こたつであったまりながら、今日は兄と何して遊ぼうかと考えていた。  兄は、雪を見てぼうっとしていた。  その目はひどく遠くを見ていた。  睦は、何して遊ぶか話したくて、「ねえ、にい」と呼びかけても兄の目はいっかな睦を捕えなかった。  睦は、兄が何を見ているのか知りたくなって、寒さを堪えてこたつを出た。駆け寄って、視線の先を追えども、一面の銀世界。特に変わったことはなかった。雪の降ることは珍しいことではない。  睦は兄には何か違うものが見えているのかと、恐る恐る尋ねた。  「ねえ、にいは何を見てるの」  兄はようやっと睦に視線を移し、何の感情も宿っていなかった顔に微笑みを浮かべて答えた。  「雪を、見てたんだよ」  睦は絶対に違うと思った。睦と兄が見ていたものは違う。兄はもっと何か、遠い遠いものを見ていたはずだ。  その時、母が戻ってきて、睦と兄の朝ごはんの支度をしてまた雪かきへと出て行った。  睦が温かなシチューを頬張っていると、裏口の方から扉を静かに開ける音がした。スプーンを持ったまま、睦が裏口へと向かうと、そこにはパジャマの上から紺色のダッフルコートを羽織った兄がいた。  兄は睦の頬についたシチューを指先で拭って、柔らかないつもの兄の声で「ちょっと雪を見てくる」と言って出て行った。  睦は追いかけなかった。  パジャマの上にコートを着ただけの兄はすぐに戻ってくると思っていた。  兄はもう7年、戻っていない。  あの後、大掛かりな捜索が行われた。大掛かりと言っても、人員が多いだけで、子どもの足で、あの雪の中どれだけ進めるかと捜索範囲は狭かった。両親は必死に兄の姿、痕跡を探したが、吹雪になり、捜索を邪魔した。  睦は何もできなかった。吹雪を見ながら、一人、兄の帰りをひたすら待った。   兄はどうやら、家の北東にある蓼科山の方角へ向かったようだった。足跡と目撃情報からわかったのはそれだけだった。捜索は何ヶ月か続けられたが、誘拐ではないかと情報提供を待つばかりとなった。それももう、ほとんどない。    睦は12歳。  兄が失踪した時と同じ歳になった。  あの時は、家で一人待つしかなかったが、それはもう終わりだ。  睦は、兄を探すのを諦めていない。7つも下の睦をひたすらに可愛がり、いつも淡い微笑みをくれた兄を探しに行くのだ。  同じ、雪の日に。
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