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「立てるか、逃げるぞ」
静かな響きの低い声。男が黒い顔で振り返った。彼も色が反転していて見慣れ無さに驚くが、見つめられて嫌な気のしない顔立ちである。白い瞳と目が合った瞬間、私は自分の中に電流が走るのを感じた。心臓が高鳴る。……ずっと失われていた自分の一部が戻ってきたみたい……これが運命? なんて乙女な思想に浸っている場合ではない。
彼は私が腰を抜かしている事に気付いたのか、片腕で軽々横抱きにして「捕まっていろ」と囁く。そして走り出し、どんどんゾンビ達を引き離していった。
(一体、何が起きてるの?)
ゾンビ達を撒いた彼は空きビルの窓から中に侵入すると、埃っぽいソファに私を下ろす。
「大丈夫か、怪我は?」
彼は心底心配そうに言って、私の手に触れ、奇抜な色のタイツに触れ、スカートを……「ちょ、大丈夫です! 大丈夫ですから!」私は背凭れに飛びのいた。呆然とした顔を見るに下心は無かったのだろう。彼は至って真面目な青年風に見えた。が、ヤクザを想起させるド派手な着物が、妙に似合っている。
「ここは何処で、あなたは誰なんですか? どうして私を助けてくれたんですか?」
「ここは“影の世界”だ。魂も肉体も持たない、死者の残留思念が彷徨う場所」
「ざ、残留?」
「お前に襲い掛かって来た奴らのことだ」
――人の魂は、永久に輪廻転生を繰り返す。転生の瞬間、殆どの者は新たな人生の妨げとならぬよう、前世の記憶を捨てるのだという。捨てられた魂の残滓はすぐに消滅するが、死の直前に強い念を抱いていた者は、消えずに残る。それが残留思念だ、と彼は言った。(地縛霊の様なものだろうか?)
「残留思念は、死の苦しみに囚われ続ける悲しい存在だ。影の世界を永遠に彷徨い、いずれ自我を失い、生者を襲い始める」
「お、襲ってどうするんですか?」
「生者の肉体と魂の輝きを……器として奪おうとするんだ」
私はゲームかラノベの世界にでも迷い込んでしまったのかもしれない。イケメンに助けられる展開まで含めてそれっぽい。
「あの……あなたも残留思念、ってこと?」
「ああ。奴らの様に自我は失っていないがな。俺が誰だか思い出せないのか?」
「え?」
「俺の名は京一郎。ずっとお前を探していた」
彼、京一郎の冷たい手が私の頬に触れる。息がかかる距離で切なげな瞳に見つめられ、私は呼吸をやめた。顔がカッと熱くなり汗が噴き出す。目もぐらぐら煮えていた。
「遥か昔の、前世。俺は誰よりお前の近く居た。俺達は互いに、唯一無二の大切な存在なんだ」
「ぜ、前世? 何それ……もしかして私の、前世の恋人だったり?」
混乱している私は、恥ずかしい思い付きをそのまま口にしていた。京一郎は否定せず緩く微笑む。前世の恋人の……幽霊。突拍子もない話だが、彼とは初めて会った気がしなかった。私は魂で納得している。
「ようやく会えたな。約束しよう、お前は必ず俺が守ると」
情熱的な告白に、私の目からポロリと熱が零れ落ちた。驚きと混乱と、よく分からない感情で一杯だった。
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