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しばらくして、更衣室から瞬が現れた。
シャワーを浴びたのか、髪の毛が少し濡れている。
その姿に、綾菜はドキッとした。
思わず、笑福で唇が当たってしまった時の、近付いた瞬の顔を思い出してしまった。
少し鼓動の早い胸を落ち着けるかのように深呼吸をする。
瞬をチラッと見ると、キョロキョロしていた。
「待たせてごめん!あれ?大樹は?」
見当たらない大樹を探す瞬。
「えっと…、お父様と一緒にケーキを買いに…」
と、綾菜が言いづらそうに答えると、
「はあ?あの親父が、子供とケーキ?」
と、驚く瞬。
普段の父親の学は寡黙な人で、親戚の子供も近づかない事で有名な父親だ。
息子の瞬も遊んでもらった記憶がないくらい、子供に関心のない人だと思っていた。
なのに、…なぜ?
「お母様が行ってきたらって、おっしゃってくれて…」
と、綾菜が答えると、瞬は思わず頭を抱えた。
「あぁ…、悪い。お袋…、まだこっちに居たのかよ…。大丈夫だった?」
瞬が綾菜を心配そうに見つめた。
綾菜はドキドキして、その視線を見つめ返せず視線を落とした。
「大丈夫だったんですけど、夕飯はお母様が今用意してくださってて…」
と、また綾菜が言いづらそうに伝えると、
「まじか…、ホント、ごめん。5時頃って、お袋家の方にいつも帰ってるからさ、まさかこっちに居るとは思わなくて…」
と、申し訳無さそうな瞬。
綾菜が右手を胸の前で左右に振って、
「いいえ、お母様に気を使わせてしまったようで、申し訳ないです。見ず知らずなのに…」
と、答えると、
「いや…、俺が女の人連れてきたから気になって呼び止めたんだよ…」
と、落ち込んだ様な雰囲気の瞬に、
「え?それなら、余計にごめんなさい。どうしましょう…。一緒にご飯を食べるって言ってしまいました…。そんな仲じゃないのに、誤解させてしまったんじゃ…」
と、心配そうな綾菜。
不安げな綾菜の顔を見て、
「まぁ、最近親しくなったってのは、間違いないし、あの親には言い訳しても無理だから、気にしないでご飯食べるか」
そう言って笑う瞬に、少し緊張がほぐれた綾菜は微笑んだ。
微笑むと可愛らしさが増す綾菜に、瞬は胸が高鳴った。
『うわぁ…、マジ可愛いかも…』
心の中で呟く。
『いや、待て。彼女は大樹の母親だ』
少し冷静になる自分もいた。
『だけど…』
落ち着かない様子で時折玄関を見て、大樹と学が帰ってくるのを待つ綾菜を見ながら、瞬は考えていた。
『離婚…したんだよな、きっと。だったら…いいのか…?』
頭の中で、このまま関係を築いていきたい気持ちがある事に改めて気付いた。
『とにかく、今日だよな…』
これから始まる夕飯の時間が、ハラハラするような不安と期待が入り交じる気持ちのまま、瞬は学と大樹の帰りを待っていた。
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