第三話 シャペロン

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***  「欲しいものは勝ち取れ」。それが橘家の家訓だった。  父は大金持ちだった。母は父には優しかったが、ひとり息子である尚央には厳しかった。父は事あるごとに言った。 「俺が天才で金持ちだから、女も金も手に入ったんだ」  「勝ち取る」とはこういうことだと、父はまさに身をもって示していた。  最初、尚央は母を欲しがった。母の愛を独占している父を羨ましいと感じた。だから「勝ち取る」ことにした。テストの点数を上げ、運動も頑張り、見た目にも気を遣った。周りはそんな尚央を神童と持て囃したが、母は振り向かなかった。それは尚央が父には到底及ばないからだった。  やがて、尚央にも好きな女の子ができた。中学校で出会う度に「欲しい」と思った。その時既に尚央は学年一位の成績で、部活でもエースと呼ばれていた。だが、彼女は尚央にはなびかなかった。その子には恋人がいたのだ。尚央はその子を「勝ち取る」ために、その子の恋人を病院送りにした。だが、その子は尚央には振り向かなかった。ただ、悲しんだだけだった。尚央は気付いた。ただ、知力や武力が優れているだけでは駄目だ。「勝ち取る」には勝負の場を整えなければならない。相手と同じフィールドに立たなければならないのだ。  それからは、尚央は負け知らずだった。  欲しいものを手に入れるために、それを分析し、どのような勝負に出ればそれが手に入るかを予め推定した。恋人も友人も金も成績も、全て「勝ち取った」。時には卑怯な手を使いもしたが、それもまた勝負の一環だった。  父は天才外科医だった。ブラックジャックのような手さばきでどんなに難しい手術でも成功させてきた。彼の行く先々は常に凱旋状態だった。尚央は自分も医者になることを決めた。  父はよく尚央に高級ブランド品を買い与えて言った。 「身に着けるものは一級品だ。時計も服もペンも女もだ」  父は女遊びが酷かった。だが、母はそれに文句を零すことなく付き従っていた。どんなにぞんざいに扱われようと、父が勝者である限り、母は父の下を離れなかった。  北稜大学の医学部に入学した初日、一際綺麗な少女を見付けた。彼女は冴えない男と一緒だった。尚央は彼女を欲しいと思った。彼女こそが自分の隣に立つに相応しい存在だと思った。  彼女を勝ち取れば、もしかしたら母も。真の勝者になった暁には、きっと。
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