第一話 変性

9/34
前へ
/107ページ
次へ
 拓眞は陽菜のことをただの幼馴染だと思っているが、陽菜が拓眞のことをどう思っているのかは正直分からなかった。こうして休日を押して会いに来てくれるのだから、信頼されているのだろうが、同時にそれは拓眞を男として見ていない、単なる幼馴染として扱っているとも言える。  特に陽菜の場合、普段出せない素を出せる相手として拓眞を見ている線が濃厚だ。おひな様という呼び名からも分かるように、陽菜は周囲から高嶺の花と思われている。人当たりも良く、老若男女分け隔てなく接する彼女は、昔から思うように自分を出すのが苦手だ。少しでも特定の誰か、特に男性に優しくすれば、相手には惚れられ、女子からはやっかみを受け、という展開が待っている。  そして、これが拓眞が陽菜を取り巻く輪に加わらない理由だ。そんなことをしなくても、二人は十分に仲がいい。尚央の見立ては当たっていたというわけだ。一体どこで気付いたのか、と拓眞は頭を抱える。陽菜と拓眞が特別仲がいいことが周囲にバレてしまえば、ふたりの生活は恐らく破綻するだろう。それだけは絶対に避けたかった。 「たっくんはお塩を計ってね」 「へいへい」  拓眞はため息をつきながら手を洗う。美人の幼馴染が休日に押し掛けてきて、昼食を一緒に作ってくれるという状況は世の男性からしてみれば、恐らく羨ましい限りなのだろう。ただ、拓眞にとっては、平穏な日常、穏やかな学生生活を揺るがしかねない襲来にほかならず、感謝はしつつも、もう少し控えて欲しいというのが本音だった。  ふたりで計量作業を終え、混捏(こんねつ)した生地をビニール袋に入れると、それをフローリングの床に置く。そして、ぴょんと陽菜が生地の上に飛び乗った。 「食べ物の上に乗るのは何ともいけない感じがしますなあ」  陽菜はとても楽しそうにはしゃいでいる。こんな純粋であどけない笑顔は拓眞以外に見せることはないのだと考えると少しだけ感慨深く感じる。陽菜はしばらく生地を踏んでいたが、急に足の力が抜けたのか、「あう」と呻いて床にうずくまった。 「大丈夫か」 「うん……なんか最近、急に力が抜けることがあって。来るときもスーパーの袋落としたし」  疲れているのかもしれない。拓眞は「代わるよ」と言って、うどんの生地の踏み役を交代する。手持ち無沙汰になった陽菜は椅子に腰掛けると、生地を足に力を込めて踏む拓眞を見て言った。
/107ページ

最初のコメントを投稿しよう!

37人が本棚に入れています
本棚に追加