プロローグ

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 「天気予報を確認するのが面倒だから」と、彼女はいつも折りたたみ傘を鞄に入れていた。その傘は、たいていの場合、折りたたまれたままで使われない。でも、雨が降ると、彼女を守るために開かれる。  彼女は天気で失敗したことがない。いつも折りたたみ傘を持っているから。他の人が急な雨で傘がないような状況でも、彼女だけは帰ることができる。  だが、「天気予報を確認するのが面倒だから」という割に彼女は天気予報を毎日必ず見て来ていた。拓眞はその意味を深く考えたことがなかった。今にして思えば、彼女は臆病だったのかもしれない。折りたたみ傘はお守りだ。  昔、彼女とその友人の女子の会話を聞いたことがある。 「ねえ、告白しようと思ってるんだけど、いつがいいかな」  どうやら、その友人は気になっている男子がいたようだ。彼女は少し悩んだ後、こう答えた。臆病な彼女らしい答え方だった。 「相手が本当に自分のことを好きで受け入れてくれるって分かってる時かな」  冒険しないという回答は、相手を守ることに繋がり、引いては自分を守ることに繋がる。きちんと自分の意見を伝えているという時点で質問には答えているし、友人に危ない橋を渡らせないという点で、友人思いと言える。下手なアドバイスをして恨みを買う恐れも少ない。利口で、思いやりのある回答だった。拓眞も、なるほど、そうだよな、と聞いていて思ったものだ。  今日も、雨が降っている。  十月の冷たい雨だ。東北の冬は速い。もう少し時期が遅ければ、雨は雪に変わっていただろう。  彼女の残していった荷物の中に折りたたみ傘があった。  昔から彼女の愛用していた、日傘と兼用の折りたたみ傘だ。猫がプリントされている。今日は雨だが、もう必要ないらしい。 「おかしいな」  拓眞は呆然と立ち尽くしていた。  ここは病室で、さっきまで彼女と会話していた場所だ。今はまるで空気が凍り付いているかのようにしんとしている。 「俺、めちゃくちゃ頑張ったのに……」  拓眞は今にも倒れそうだ。よろよろと、ベッドに座り込む。そこにはまだ彼女の温もりが残っていた。それが今はもう手の届かない温かさのようで、心をギュッと締め付ける。  臆病な彼女の性格が伝染したのか、拓眞もまた、折りたたみ傘を常に持参するようになっていた。冒険しない。例えば、相手が自分に好意を持ってくれていると確信している時にだけ初めて告白する。  その確信が得られたと思ったのに。 「うわ、俺、最高にかっこ悪いじゃん……」  いつも持っていた折りたたみ傘を開くときが来たのだと、そう思っていたのに。  雨粒が窓ガラスに当たり、軽く息を吸うくらいの時間をおいて真下へと垂れていく。こんなにも雨が降っているのに、折りたたみ傘は役に立たなかった。 「どうして俺、フラれたんだ」
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