第一話 変性

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第一話 変性

 一年前、十月。  控えめな拍手のような火の爆ぜる音。団扇(うちわ)で扇いで新鮮な空気を送り込んでやれば、それはまだ自らが十分な熱を持っていることを赤々と体現する。河原の石を適当に積み上げて作った簡易的なかまどには、この時期だけコンビニの店頭に並ぶ薪がくべられている。かまどの上には十数人分はまかなえるであろう巨大な鍋が絶妙なバランスで乗っている。鍋の中の具材は豚肉、里芋、人参、豆腐、キノコなど。それらが、味噌ベースのつゆの中でぐつぐつと煮込まれている。豚汁のようであるが、それを宮城県民の前で言ってはならない。秋に広瀬川のほとりで食べるものは芋煮と相場が決まっている。 「いい感じだな」  穏やかな晴天の下、拓眞は鍋の具合を見ながらそう呟いた。こうして宮城風の芋煮を作ってはいるが、拓眞は生粋の埼玉生まれだ。 「ほお、旨そうじゃないか。栗生(くりゆう)」  そう言いながら鍋を覗き込んで眼鏡を曇らせているのは、同じサークルに所属している橘(たちばな)尚央(なお)だ。 「ま、こんだけできれば上出来だろ。と言っても、お前以外誰も興味示してないけど」  そう言って拓眞は少し離れたところで同じように湯気を立ち昇らせている鍋を見遣る。向こうの鍋の周りには十人くらいの男性陣が人だかりを作っている。 「あっちは山形風芋煮。醤油ベースで牛肉を使っている」  ただ、人だかりの訳は鍋の中身ではない。正確には、鍋を小さい腕で必死にかき混ぜている少女だ。彼女の名前は桃(もも)瀬(せ)陽(ひ)菜(な)。このサークルの中で華麗に咲き誇る大輪の花だ。いや、学校一の美女と言っていいだろう。小動物を思わせる小柄な身長でありながらも、スタイルは抜群で、色素の薄い茶色の長くてふわふわな髪は腰の辺りまで伸びている。鍋の熱に当てられたのか、白皙の肌はうっすらと赤く染まっており、薪から生じる刺激性の煙によって大きな瞳は潤み、長いまつ毛がしぱしぱと開いたり閉じたりを繰り返している様は非常に愛らしい。 「あからさまだな」 「まあ、宮城県民でもない野郎が作る芋煮よりも、美人の作る料理の方が男共に人気なのは日の目を見るより明らかだ」  拓眞は肩を竦める。 「栗生、君は向こうに行かなくていいのか」 「生憎と俺はここの鍋を任されているからな」 「代わってやろうか」 「遠慮するよ。あんな煩悩丸出しの輪の中には加わりたくない」 「欲望に忠実で実に生物として好ましいと思うが。どちらかと言えば、冷静な栗生の方がこの場合おかしいのでは」 「お前もだろ、橘」  拓眞はしゃがみ込んだ姿勢のまま、尚央を見上げた。陽菜がサークルの姫ならば、尚央はサークルの王子と言っても過言ではないだろう。180センチを超える高身長、サラサラの黒髪に銀縁眼鏡、通った鼻筋、整った顔立ち。知的で優しそうな瞳は切れ長でまさに美形と言えるだろう。そして何より、医学部生で親は高名な外科医で裕福。まさに三高(高学歴・高身長・(未来の)高収入)が服を着て歩いているような存在だろう。 「まあ、僕の場合は……」  尚央が言葉を発しようとした瞬間だった。 「飲み物たくさん買って来たよー」  甲高い女子の声が広瀬川のほとりに響いた。わらわらと土手を降りて来る女子が五人ほど。彼女らもサークルのメンバーだ。ちょうど今、買い出しから帰って来たところらしい。
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