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第三話 シャペロン
彼女の軌跡を全て知った気でいた。軌跡とはいわば一本の紐のようなものだ。過去に経験したありとあらゆることがその紐を複雑に色分け、ひとりひとりに異なった軌跡を描き出す。それが絡まってひとつの塊になったものを人は人生と呼ぶのだろう。人生はその人が今まで経験したことによって大きく形を変える。だが、その形はその軌跡によって一意的に決まる。
ひとつの軌跡にひとつの人生。
それはタンパク質の構造と同じだな、と拓眞は何となく思っていた。タンパク質はアミノ酸が連なってできた構造物だ。アミノ酸の順番でタンパク質の構造はひとつに定まる。ひとつの紐にひとつの帰結。アンフィンセンのドグマ。タンパク質も人生も同じだ。
要するに、陽菜の人生に橘尚央という要素が入ったことで、彼女の人生は形を変えたのだ。そう、尚央と結ばれるという形に。
「どうして俺、フラれたんだ」
空虚なその言葉を受け止めた者がいた。
「ええっと。僕にも分からないなあ」
「うわっ。お前、どこから」
いつの間にか、カミサマが病室の中にいた。深夜の研究室で見たのとまったく同じ出で立ちで。
「分からない」と言いつつも、にこにこと微笑みを浮かべて小首を傾げている少年に、拓眞は思わず本当に殴り掛かりそうになった。だが、大人が子供に殴り掛かったら大問題だ。辛うじて残った理性で拓眞は思い留まると、少年の見た目をした者に食って掛かる。
「お前、カミサマだろ。何でも分かるんじゃないのか」
少年は柔和な笑みを崩すことなく、拓眞を嗜める。
「僕は全知全能ではないよ。それに、言ったはずだよ。僕はシャペロンだと」
「シャペロン? タンパク質を折りたたむタンパク質のことか」
「シャペロンの語源は介添人。西洋の貴族社会において社交界に初めてデビューする女性に付き添う女性を意味している。要は、手助けはしても、望んだ結果を引き寄せるのは君自身の役目だ」
望んだ結果。それは陽菜の病の完治、並びに、拓眞の恋の成就。
「そんなこと言われても、どうしたらいいんだよ」
「別に無駄だったわけじゃないでしょう。現に彼女は元気を取り戻し、好きな人と一緒になれる。めでたしめでたしじゃないか」
カミサマと呼ばれた少年は座り込んだ拓眞の正面に立ち、そう言った。
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