あの日の君を追いかけて

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あの日の君を追いかけて

「そんな……。」  廊下にまで響いた心電図のフラット音。一つの命が終わりを告げた。俺の中で、色々なものが大きな音を立てて崩れ落ちた。それは、声や匂い、手や唇、思い出や記憶だった。俺はただただその場で崩れることしかできなかった。涙も出なかった。何も感じず、何も見えなくなったんだ……。  ――半年前 「聡太。聡太ってば。」 「う、うーん。」 「起きて!今日はピクニックの約束でしょ!」 「そうだったね。今、起きるよ。」 「早く支度しなきゃだよ!海に行くんだから!」   そう、あの日は海に行く日だった。三連休の始まりの日で、一週間ほど前から計画していたっけ。俺はキャンプなどしたかったが、香菜の強い要望だったので、ピクニックに決まったんだ。そうだった。  夏も終わり、秋の訪れを世は感じていた。イチョウの木も黄色くなり始めていて、いよいよ紅葉も始まろうとしていた。香菜は寒くなる前に行こうと俺に提案してきたのだ。付き合い始めて五年。同棲を始めて二年経とうとしていたっけ。 「準備できたー?さ、早く行くよ!」 「そう急ぐなよ。時間はたくさんある。」 「楽しみにしていたの!さ、行こ!」 「分かった分かった。出発しよう。」  玄関を出て、足早に車へと向かう。ドアロックを解除すると、香菜はすぐに車に乗り込んだ。運転席を指さして俺を急かしている。相当楽しみにしていたのだろう。ニヤつきが止まらないようだ。俺もすぐに車に乗り込みエンジンをかけた。  車の中は香菜の手作り弁当の香りでいっぱいだった。大きめのバスケットの中を見るのが楽しみだ。香菜の手料理はどれも美味い。一番はオムライスかな。俺好みの濃いめのチキンライスには大きめの鶏肉がゴロゴロと入っており、細切りのウインナーも混ぜてある。そしてそれらを包み込むふわふわのタマゴ。いつもケチャップで名前を書いてくれた。本当に美味くて大好きだった。 「あー!」  急に香菜が大きな声を出した。俺は驚いてビクッとなった。 「飲み物がないよ!コンビニによって買っていこうよ!」 「なんだそんなことか……。急に大きな声を出すから何事かと思ったよ。」 「そんなことって!大事でしょ!喉をつまらせても知らないからねっ!」 「はいはい、向こうの信号の先にコンビニがあるから寄るとするよ。」 「ありがとっ。」  コンビニに到着すると、香菜は車を飛び出た。俺もあとを追うように車から降りた。 「いらっしゃいませぇ、こんにちはぁ。」  店員のけだるげな挨拶が聞こえた。香菜はあの人だるそうね、と俺にぼやいた。そんなことより早く飲み物を買うぞ、と香菜に返した。 「えーと、水よりお茶かなあ。緑茶にしよっと!」 「俺は缶コーヒーにしようかな。このメーカーの缶コーヒー、美味いんだ。」 「じゃ、決まりねっ。」  俺たちはレジへと向かい、会計を済ませた。店員はやはりだるそうな感じだった。少し心配になるほどだ。 「またお越しくださいませぇ。」  コンビニを出るなり、香菜は大丈夫かなあの人、と聞いてきた。大丈夫だよきっと。と俺は返した。  車に乗り込み、いざ出発。今回通る道は山ルート。少し登って下り坂に出れば壮大な海が見えてくるのだ。この日は最高に晴れていて、青く広がる空にはちらほらと綿のような雲が漂っていた。信号を曲がり、いよいよ山道へと入る。道路の脇の針葉樹たちは、天を刺すかのように高くそびえ立つ。そこから溢れる日差しがまた、心地良かったのを覚えている。  さあそろそろ最終カーブにさしかかる。あのカーブを曲がれば目の前に海が見えるはずだ。これだけ晴れていれば相当素晴らしい光景が目に飛び込むだろうと俺は思っていた。それは香菜も同じだった。 「そろそろだね!凄い景色だと思うよ!」  最終カーブを曲がる。そしてついにそれが見えた。 「わあああああ!」  香菜が歓喜の声をあげた。俺たちの期待を裏切らない景色、いや、それ以上の景色が目の前に広がっていたからだ。急な下り坂、目の前のずーっと向こう側。なんて美しい海なんだろう。まるでそれは空に溶け込むかのように高い位置に見え、ぐんと深い青でいっぱいだった。海は太陽の光を全身で受け止め、波が眩しく輝いているのがはっきりと分かった。  阪を下り終わると、信号に当たった。運良くすぐに青になり、ゆっくりと左折する。真っ直ぐに進むとそこは俺たちの目的地だ。左側には駐車場、右側は緑いっぱいの芝生が敷かれた広大な草原が広がっており、奥には先程と変わらない絶景の海。  駐車場に車を止めて荷物を取り出し、二人は絶景ポイントを探す。 「聡太!あそこにしようよ!」 「おー、いいね。レジャーシートを準備しておこうか。」  少し高い丘の上。確かに見晴らしはかなり良さそうだ。香菜は俺の手を取り引っ張っていく。走ると転ぶぞ。なんて声も聞こえないほどにはしゃいでいた。  丘の上に到着し、レジャーシートを広げる。風は心地よく、シートが飛んでいくこともなかった。二人はバスケットを挟んでシートに座る。 「お弁当、頑張ったんだよ。聡太の好きなものづくしなんだっ。ね、開けてみて!」 「それは嬉しいな。どれどれ。」  おもむろにバスケットの蓋を開けてみる。そこにはおにぎりとサンドイッチ、そしておかずが詰め込まれているであろう弁当箱が入っていた。 「おにぎりは全部ツナマヨで、サンドイッチはレタスとトマト!聡太、好きでしょ?」 「最高だよ!この弁当箱も開けていいか?」 「あけてあけて!」  弁当箱を取り出し、蓋を開けてみる。そこには香菜の手料理が敷き詰められていた。肉厚な卵焼きにミニハンバーグ。ブロッコリーとツナのあえ物にアスパラベーコン。唐揚げにはタルタルソースがかけられている。しかもなんとポテトサラダまであった。急に空腹が襲ってきたのを感じた。 「香菜、本当にありがとう。どれも大好物だし、何より美味そうだ。」 「えへへ。すごく頑張ったんだから!全部食べてよね。」 「ペロッといけちゃうよ。いただきます。」  ああ。この時間がいつまでも続けばいいのに。と、俺は思っていたんだ。でも、もう今は戻れない。二人の時は、俺を残したまま止まってしまった。俺はいつまでも自分を責め続けるだろう。なぜなら、なぜなら香菜は――。 「香菜!香菜!ああそんな……香菜!うぐっ、うう……。お前!お前がいながらなぜこうなったんだ!お前は私にあの時なんと言った!あの子を守ると!そう私に誓ったはずだ!何とか言え!」 「……お父さん……。申し訳ありません……。」 「ううっ……ぐっ……。もういい、出ていけ!二度と私の前に現れるな。」 「……。申し訳ありませんでした……。失礼します……。」  俺は香菜の父親に背を向け、ふらふらと歩き出した。香菜は幼い頃に母親を亡くしている。以来、お父さんが一人で香菜という一人娘を育ててきた。お父さんと香菜はとても仲が良く、いい関係性だった。俺はそのお父さんの命よりも大事とも言える香菜を……、自分の愛する人を殺してしまったのだ……。  ――三ヶ月前  十二月後半に入り、雪もだんだんと積もりはじめ、世間はより一層クリスマスムードが漂っていた。公園では木々がライトアップされ、たくさんの家がクリスマス用の電飾を飾り付けている。そんな中、俺は緊張していた。香菜へのクリスマスプレゼントをジュエリーショップに取りに行くのだ。いや、分かっている。クリスマスにプロポーズなんてありきたりだ。だが頭の悪い俺にはこういうやり方しかできないんだ。今は夕方四時。二時間後には婚約指輪を受け取ることになっている。手には指輪を受け取るための控えの用紙を握っていた。 「そろそろ準備しようか。喫茶店にでも寄って一服してから行こう。」  アパートを出て、階段を降りていく。折りきった所でふとあるものに気づいた。 「ゴミか……?……いやこれは……。」  猫の背中だ。まんまるでふわふわした真っ黒な猫。猫好きの聡太は思わず声をかけた。 「おい、ここは寒いぞ。大丈夫か?」  猫は呼応するようにこちらを振り向いた。黄色い瞳でじっとこちらの様子を伺っている。 「……。」 「どうした?怖くないぞ。さあおいで。」  ――ピシィ! 「くっ!パンチか!なんでだよ……。」  強烈な猫パンチを食らったその時であった。手に握っていた用紙を落としてしまった。風も吹いていたので三メートルほど飛んでいってしまった。すると、その紙を猫が追っていき、スッと口に咥えてしまった。マズイ……。これはマズイ。 「お、おい、こっちにおいで!その紙を返すんだ!」 「……。」 「さあ、こっちにおい――」  猫は軽い足取りで去っていった。体に似合わぬ軽快な走りだ。追う聡太。逃げる猫。アパートの周りをぐるぐる回っている一匹と一人。何周しただろう。あることに気づいた。猫が紙を咥えていない。待て。一体どこに行ったんだ。この風だ。どこかに飛んでいってしまったのかもしれない。さらには猫の姿もない。どこかに行ってしまったようだ。 「なんてこった……。くそ、なんて運が悪い……。まあ、身分証かなんかを提示すれば大丈夫だと思うが……。」  聡太は車に乗り込むと、そのまま真っすぐにジュエリーショップへと向かった。  ――この辺だったか。ああ、あそこだあそこ。  ジュエリーショップに到着した聡太は、足早に店内へと向かった。担当の店員に先程までの奇々怪々な事情を話した。 「それはそれは。大変でしたね。しかもなんとも不思議な話でもある。さ、この椅子におかけください。コーヒーでもお出ししましょう。」 「はあ……ありがとうございます……。」 「お疲れのようですね。少々お待ち下さいね。」  担当の店員の名前は柴田さん。見た感じ五十代半ばといったところか、落ち着いた性格で話口調も淡々としている。聡太の初めての来店の際、かなり親身になって指輪選びの相談に乗ってくれた。あの時は何時間も柴田さんを独占してしまって申し訳なく感じていた。 「お待たせ致しました。砂糖とミルクは?」 「いえ、そのままで大丈夫です。ありがとうございます。」  うん、美味しい。疲れがスッと抜けていくのを感じる。コーヒーには不思議な力があるよな。はあ、本当に疲れた。 「こちらが加藤様がお選び頂いた指輪にございます。内側にご希望の文字も刻まれております。ご確認ください。」  濃いネイビーにベロアのリングケース。静かに開けてみる。そこにあったのは小さな指輪。美しく輝くシルバーに、小粒のダイヤモンドが並んでいる。そっと手に取り、内側に刻まれた文字を確認する。うん、しっかりと刻まれているようだ。 「ありがとうございます!完璧です!」 「ははは。お気に召されたようで何よりです。プロポーズ、頑張ってくださいね。きっとうまくいきますよ。」 「はい……。必ず成功させます!」 「そのうち、いい報告を期待しておりますね。それではお会計はこちらで。」  聡太は会計を済ませて店を出た。柴田さんも外まで出てきて見送ってくれた。プロポーズまであと三日。楽しみと不安と、緊張と。そう、俺は複雑な気持ちでいっぱいだった。  当日、約束の時間だというのに、香菜の姿はまだない。ホテルのレストランを貸し切ってまで用意した大舞台。まったく、そういえば香菜はいつも遅れるのだ。いや、仕事が長引いているかもしれない。ここの近くのビルで事務をしている香菜。残業なのかもしれないな。 「おまたせっ!遅れてごめんね!」  ホッ。ようやく来たか。 「いいんだよ。俺も今来たとこさ。」 「またまたぁ!本当はずっと待っていたんでしょう?ほんとに遅くなってごめんね。」 「大丈夫だって。さ、座って。今日はクリスマスだ。それにふさわしいコース料理が来るんだ。」 「凄い!本当に楽しみ!ありがとう聡太!そういえば私達以外誰もいないね?」 「……貸し切ったんだ。ゆっくりと過ごせるようにね。何ヶ月も前からね。」 「嬉しい……。聡太大好き!」  幸先いいスタートだ。俺はすぐにウエイターにアイコンタクトを取る。ウエイターは頷き、料理を運んできた。最初はもちろんオードブル。スライスされた玉ねぎの上に三枚のサーモンの刺し身が乗っている。香りからして酸味のあるソースが絡めてあるようだ。これは食欲がそそる。香菜はすでに一口食べていた。 「美味しい!すごく美味しい!」 「そっか、それは良かった。」  二人は時間を忘れてディナーを楽しみ、会話に花が咲き、とても楽しく幸せな時間を過ごした。  ――そろそろか。  聡太はウエイターとアイコンタクトを取る。ウエイターは軽く首を縦に振った。その時であった。  辺りは真っ暗な静寂に包まれた。香菜は停電だろうかと心配の声を上げた。するとまもなく二人のテーブルがライトで照らされた。香菜の目の前にはそれは美しい花がテーブルの上を満たしていた。何事かと香菜は両手で口を覆う。目の前には小さな箱を持った険しい顔の聡太。  ――まさかこれって―― 「香菜。俺はかなり不器用だ。不器用だから、香菜を困らせたり、怒らせたり、心配させたり……。これまでもこの先もそうなるかもしれない。許してくれ。でも……でも俺は思ったんだ。香菜となら、二人でなら、器用にやっていけると。もちろん俺も頑張る!頑張るから!それに、それにもう――――」 「ふふふ。聡太、もういいよ。不器用なくせにセリフは長いのね。聡太、こっち見て。」  俺は顔を上げた。いつの間にか下を向いていたようだ。焦りと緊張のせいだろうか。目の前の香菜は大粒の涙を流して笑っている。 「イエスよ。」 「……えっ?」 「私で良ければ、聡太のお嫁さんにしてください!一生かけて不器用な夫を支えます!だから……だから私に指輪をください!」 「香菜……!」  俺は香菜の左手薬指に指輪をはめた。細い指だ。薬指のダイヤモンドが光り輝いている。そう、あの瞬間は最高に幸せだったんだ。一生離れないように強く抱きしめ合った。夫婦として、この幸せがいつまでも続くと確信していたんだ。いつまでも……。いつまでも……。  ――だが運命は大きく歪んだ。   「なんでいつもそうなの!? あの時の言葉は嘘だったの!?」 「俺は頑張ってるだろう!仕事もして、飯も食えてる!何が間違っているんだよ!」 「仕事仕事って、ろくに帰っても来ないで、もう二人きりの生活じゃないのよ!分かってるの!?」 「分かってるよ!だから仕事を頑張ってるんだろう!その子のために!香菜のために!」 「毎日残業ばかりで連絡も入れない!不安でしょうがないのよこっちは!」 「俺が香菜を裏切るわけがないだろ!何を考えているんだ!」 「そういうことじゃないのよ!なんで伝わらないの……!」 「こっちのセリフだ!」  俺は家を飛び出した。頭を冷やす時間が必要だった。伝わらない想い、食い違う意見。最近ずっとこの調子だ。なぜだ……。なぜこうなるんだ。ええい考えてもきりがない。もう考えるのはやめよう。  その時、冷たいしずくが聡太の額に当たった。雨か。完璧だな。雨に当たりながら、聡太は歩き続けていた。歩いて歩いて、途方に暮れる。もうずっと歯を食いしばっている。  家に帰った聡太。香菜はリビングのソファーに座って雑誌を読んでいた。ただいま……と俺は呟いた。 「どうして……飛び出ていっちゃうの。なんで私達を置いていけるの。」 「頭を冷やす必要があるだろ。」 「そうだよね。聡太はいつも自分のことばかり。私達のことなんて何も考えていない!」 「だから言ってるだろ!俺は――」 「私達のために頑張ってるって!?でもそばにいてくれない!ここずっと私は一人ぼっち!聡太がいない生活が続いて、不安は募るばかりで!私はどうしたらいいの!」 「……香菜、俺は――」 「もういい!何も聞きたくないよ!」  香菜はソファーから立ち上がり、玄関へと向かった。落ち着かせるべきだとおれは思った。 「香菜!香菜!外は雨だ!どこへ行くんだ!」 「聡太と同じ!散歩するのよ!」 「俺も行く!」 「来ないで!聡太のいない時間には慣れてるもん!」 「香菜……。」  香菜は傘も持たずに家を飛び出た。この時俺は香菜をすぐに追いかけるべきだったんだ。そう、すぐに。 「くそっ!香菜!」  数秒考えてから俺は香菜を追いかけた。玄関を出ると香菜はもうすでにアパートの階段を降りきっていた。追いかけなきゃ!香菜は小走りで道路を渡ろうとしている。アパートの目の前の公園に行こうとしているのだろう。 「香菜!待つんだ!戻れ!」  俺は走って香菜の腕をつかんだ。離さないように強く。   「痛い!離してよ!」 「危ないだろ!早く家に戻れ!俺が悪かった!頼むから一緒に来てくれ!」 「どうして!?聡太が先に戻ってよ!私達のこと、どうでもいいくせに!もう、離して!!」  次の瞬間。俺には時間が止まって見えた。香菜は腕を払った。俺は思わず手を離してしまった。そう。離してしまったんだ。香菜は足を滑らせた。右から迫るトラック。俺はまたすかさず香菜へと手を伸ばす。  キイイイイイイイ!!  ――香菜!  ドシャン!  妻は目の前でトラックに跳ねられた。一瞬だった。  ドシャ!   鈍い音で我に返った。 「……香菜……?……香菜、香菜!!」  俺はアスファルトに横たわる妻の元へと走った。長い距離に感じた。無我夢中だった。  ――太……聡太!   「っはぁ!!」  ここは!?見渡すとそこは自分の車の中だった。どうやら車の中で眠っていたようだ。  二度も惨劇を見てしまうとは。あぁ、俺は妻も我が子も失った。いや、この手で殺してしまったも同然だ。この業を背負い生きていかなきゃならない。一生自分を責めることになるだろう。もうあの頃は戻らない。  とりあえずできることをしなければ。アパートに戻り、色々片付けよう……。聡太は震える手で車を走らせた。  アパートに到着した聡太。ふらふらと車を降り階段を登っていく。玄関の鍵を開け、扉を開けたその時。  ――シュッ。  何かが足元を通った。それはまっすぐと廊下を進み、扉の前で座り込み、こちらをじっと見ている。 「……お前、どこかで……。あぁ、あの時の用紙泥棒か。何だ。俺を笑いに来たのか。幸せを殺したこの俺を……。」 「……。」 「……飯がほしいのか。ふん……何でも取ってけ泥棒。」  廊下を進みドアを引く。隙間から泥棒が室内へ入り込む。真っ黒な泥棒は室内を嗅ぎ回り、ハイタイプのテレビ台の上へと飛び乗った。知らない猫がうちにいる。……今更何も驚きはしない。聡太は虚ろな目をしていた。ソファーに横たわる聡太。あぁ香菜の匂いだ。まだ残っている。だがもう香菜はいない。俺が殺したんだ……。  ――ゴトン!  テレビ台の上から泥棒が何かを落とした。あぁ、ビデオカメラか。これからの生活のために買っておこうと香菜と電気屋に行ったっけか。  聡太はビデオカメラを拾い上げると、メモリーカードが飛び出ていることに気づいた。何かデータでも入ってるのか……?メモリーカードを取り出し、自室へと向かう。パソコンにメモリーカードを挿入し、データを確認する。一つ、録画データがあるようだ。日付は一週間前。香菜が撮ったのか?聡太は再生ボタンをクリックした。 「……よし、撮れてるのかな?わーいママだよ!パパ、見てる〜?」  ……香菜……。 「最近お仕事が忙しそうね。でも私はここにいるよ!パパの帰りをこの子と待ってるの。今日もパパは遅いなあ。育児本を買ってソファーに置いておいたけど、パパは見ましたか〜?なんて、時間がある時でいいからね!」  聡太はふとソファーに置いてあった雑誌を思い出した。 「……それはそうと!パパにどうしても伝えたいことがあります!恥ずかしいけど最後まで見てね。あの時のプロポーズ、ほんとダサかったゾ!貸し切りのレストランまで用意したのに長ーいセリフ。私が切り出さなかったら朝になっていたかもね!」  ……そうだな、あの時はすまなかった。 「でもね、パパ。心から私は幸せだったの。もちろん今もそうだよ。最近は毎日パパの帰りを待っているけれど、私は睡魔には勝てないって気づいたんだっ。」  ……それはもう知ってるよ。 「後で時間できたら、この子の名前を考えましょうね。二人の字を組み合わせる?それとも花の名前とか?いやいやいや、とにかく!私はいつでもパパの帰りを待ってるよ!安心して帰ってきてね!」  ……香菜……もうやめてくれ……。 「いつか生まれてくる私達の赤ちゃん、ママとパパが守ってあげるから、あなたも安心して生まれてきてね。きっと、きっと幸せになれるよ。だってパパが私達を守るんだもん(・・・・・・・・・・・・)!そうでしょ?聡太!」  俺はいつの間にか床に手を付き大粒の涙を流していた。泣いても泣いても溢れ出してくる涙。殺したんだ!守るべきものをこの手で!殺してしまった!……神様……いるんだろう…。俺の命と引き換えに妻と我が子を生き返らせてくれ!頼む!頼むから!頼みます!  ――ピシィ!  何かが俺の頭を叩いた。猫だった。……そうだよな。泣いても、神に祈っても仕方がないよな……。俺はなんてことをしてしまったんだ。ごめん……。ごめんよ香菜……。俺が悪かった……。償えるのなら償わせてくれ……。俺はもう生きていけない……!!  ――――地区の公園にて、三十代と見られる男性の遺体が発見されました。警察は自殺と見て捜査を進めています。胸ポケットには遺書のようなものが入っていたとのことです。警察はこの男性の身元を―――― 「現場、すごく近いな。こんな町でこんな事件が起こるなんて。」 「あなた!仕事遅れちゃうわ!さ、お弁当持ってね!」 「すまないね、それじゃ行ってきます!」
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