1/22
前へ
/225ページ
次へ

 自宅を訪れてから、谷地さんとは交流が増えていった。  収集の傾向を知り、造詣の深さに触れて、谷地さん個人を好ましく思ったのもある。たがいを尊重する関係は、とても心地がよかった。  呑みに誘われることもあった。気楽な独り者同士だと知って、一ヶ月に一度、都合が合えば二度、三度と語り合う間柄になっていた。結婚してとっくに子持ちになり、縁遠くなった友人よりも間違いなく会う回数は増えた。  あの素晴らしいコレクションが頭から離れずにいた。ふたたび拝ませてもらいたかったが、なかなか機会が巡ってこなかった。それとなく探りを入れても、やんわりと断られる。  谷地さんは自分のことを多くは語らなかったが、名の通った会社に勤め、平日は忙しく、残業も多いと聞いた。さすがに自宅に伺いたいとは伝えがたく、外で会うことが続いた。  仕事帰りに待ち合わせて居酒屋に寄ったとき、谷地さんはすこし痩せたように見えた。だいぶ疲れたようすで、目の下に(くま)を作っている。  それでも機嫌よく笑う。夜になっても外はうだるような暑さで、歩くだけでも汗だくになった。冷房がよく効いた店内で、冷えたビールを喉に流し込むと生き返る思いがした。  彼は先月、平日に休みをとって泊まりがけで出かけ、いいものを手に入れたと嬉しそうに話した。  そういえば、と真顔になって報告される。 「あの箱、急に蓋が開くようになったんですよ」 「箱……ですか?」  箱──といえば、谷地さんの部屋にあった、開かずの木箱のことだろうと思い至った。  最近、乾燥してるからかな、と谷地さんはひとりごとの口調になった。 「本当にするっと抜けるようになって、驚きました」  それで、と言い置いて、焼酎のお湯割りを口にする。 「いい機会なので、そこに保管することにしたんです」 「いいもの、をですか?」  ええ、と楽しげに、なにかあったかいものを(ふところ)に入れたかのような満面の笑みでうなずく。  これは──、と察しがついた。  この感覚は知っている。いままで何度か、(かたわ)らで眺めてきたからだ。  そう、自分の人生に、とてつもなく大切なものを受け入れた覚悟。未来への期待に、表情が輝いている。  恋人ができた、と言った同僚の顔。結婚の報告があるんだと言い放った、数少ない親友と同じ。あいつらと、しょっちゅう明け方まで遊び歩いたのも昔となってしまった。  それにしても──いいもの、と言い切った谷地さんの、意味する対象がとても人とは思えない。  縁を繋ぐ箱。  谷地さんはなにを望んでいるのだろう。  おたがいがまだ敬語の抜けきらない付き合いをしているだけに、深く立ち入る話題ではないのかもしれない。  あまり深入りしてはいけない。そんな気がした。 「いい縁と結ばれるといいですね」  胸のうちにつかみどころのない(もや)を抱えたまま、作り笑いで応じた。
/225ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加