偽りの家族

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偽りの家族

前川(さとし)はこの状況の中、隣にいる妻、美保子が、どんな顔をして芝居をしているか大方想像はついているものの、気を許したら最後、妻の方を向きまじまじとその表情を見てしまいそうで気が気でなかった。 高級料亭の一席設けられた部屋で、自分達夫婦と娘、娘の恋人とその両親がテーブルを挟み(かしこ)まって座っている。 この記念すべき両家の初顔合わせの席で、事もあろうに美保子が 自身の学歴を偽り、聖蘭(せいらん)女子大学国文科卒などと述べた。 しかしその嘘がまかり通り、美保子の向かいに座る、本家本元のセレブ妻である、娘の恋人の母親までもが 「すごいわぁ。聖蘭女子大と言えば、単に成績優秀と言うだけでは入れませんもの。奥様は、さぞかしお家柄が良いのでしょうね」 と美保子を持ち上げる。これを受けて美保子は 「家柄という事でしたら何代も続いた旧家という訳でもなく、大したことございませんの。ただ、大学の事務局に遠縁の者がおります関係で」 とさらにバージョンアップしたストーリーを展開した。 そんな中、テーブルに置いた前川の携帯が振動し始め、前川は 「あっ、申し訳ない。ちょっと失礼」 と言って背面の(ふすま)を開け、隣接した部屋で、電話の主との会話を始める。 前川は大衆演劇を思わせるような、抑揚(よくよう)を目一杯つけた言い回しで 「なにぃ。弱ったな。 うん、確かに君の言う通り、不測の事態だ。仕方がない、今、先方にお伺いを立ててみる。 すぐに折り返すよ。じゃ、また」 と言い、電話を切ると、仲居のように膝をついて襖を開け 「いやいや、申し訳ない。今しがた急用が入りまして私が行きませんと事態が収拾出来ないようなので、今日はここで失礼させて頂いても宜しいでしょうか?」 と相手側の父親に願い出た。父親は 「どうぞ、お仕事に向かわれて下さい。この先、機会はいくらでもあるでしょうから」 と、疑う余地などこれっぽちも無いとした人の良さを前面に出し答えた。 前川は、お前はどうする?という視線を美保子に向けると 「私も行くわ。その方が何かと安心でしょ」 と打ち合わせ通りの言葉が出、二人は「仕事上やむなく」と言った感じでその場から退散する。 前川と美保子は芝居上の娘とアイコンタクトで確認を取ると、襖を開け、廊下に出た。 そこからは、誰の目にも留まらぬ速さで廊下を突き進み、料亭の表玄関まで行く。 もはや、二人には係りの者に靴を出してもらう間も惜しい位なのだが、優雅なミドルエイジの印象を保つため催促もせずに待つ。 二人は揃えられたそれぞれの靴に足を通すと、従業員に軽く会釈をして、料亭から出た。 しかし、まだ安心は出来ず、芝居続行中とでも言うように無言で肩を並べて歩く。 この新橋という界隈は実に不思議な町で、数百メートル先には世界に誇れる銀座がある一方、駅周辺には肩ひじの張らない酒場が密集し、素通りしてしまう程の間口の小さい店が創業百年を超える佃煮屋だったりする。 二人は「ここまでくれば大丈夫」と判断し、良心的な価格でコーヒーやホットドックを提供する喫茶店「ナイアガラ」に入る。 前川は美保子に「ホット?アイス?」と問われると、すかさず「ホット」と答え、先に二階に上がって、街中(まちなか)を見渡せる窓際の席に腰を据えた。 数分後、二つのカップを載せたトレーを手にした美保子が戻ってくる。 「今回も何とか上手くいったわね」 許されるものなら、高笑いの一つもしたいだろうが、そこまで性根が悪いわけでもない。 先程の高級料亭での初顔合わせは、前川と美保子が、娘として座についていた女「松原えり」の両親に成りすましていたという、全くの偽りだった。 松原えりは二か月前、前川と美保子が所属する事務所を訪れ、社長である稲葉美千代に「短時間でいいので、自分の両親として芝居してくれる人を紹介してほしい」という相談を持ち掛けた。 えりは都内で知らない者はいないという贈答用高級フルーツ販売を手掛ける「千両屋」の息子、小杉と知り合い、結婚の約束を取り交わしたのだが、小杉に、家庭の事情で幼少期から高校卒業まで祖母宅で育ったという事実を打ち明けると、彼から一先ず家の親にはその事を伏せておいてほしいと頼まれる。 と言うのも、小杉一族内に、それと似通ったケースがあり、小杉の両親はその件でかなりナーバスになっている為、変に刺激したくないというのがその理由だった。 事務所から話があり、前川と美保子は松原えりの両親として不自然に映らないよう、事前に何回かえりに会い、すり合わせを行った。 前川は静岡出身で、高校卒業後、憧れの映画界で身を立てようとこれといった当てもないまま上京した。その後、審査のゆるい弱小劇団に何とか籍を置くことができたが、給料などは貰えず居酒屋や土木作業員などをしながら生活費を工面した。 劇団には俳優の仕事こそ回ってこなかったが、エキストラの募集は頻繁にあり、 そうしたエキストラ繋がりから、他劇団所属の役者との友達の輪も広がりを見せていく。 本業以外のバイトで、何とか糊口(ここう)をしのぎ、仲間と安酒をかっ食らっては愚痴をこぼしていた前川の下に、ある日、シニアモデルの仕事が舞い込んでくる。 拘束時間が短い割にギャラが良いという事もあり、前川は頭の中から初志貫徹という言葉を追いだし、スーパーのチラシや通販カタログに登場する庶民派モデルの道に舵を切った。 妻の美保子とは、若い頃所属していた劇団で出会い、美保子が三十の大台にのる直前に籍を入れた。 難なく月々の家賃を納める事が出来るような経済状況ではあっても、年に一度の国内旅行さえままならないという現時点での暮らしが、果たして「幸せ」と言えるのか?と、時に自問自答する前川ではあったが、かつて、同じ夢に邁進していた妻、美保子の存在もあり「これはこれでなかなか面白い人生じゃないか?」と言い聞かせていた。 尤も、美保子からしてみれば「こんなお遊びに興じる為に劇団に入った訳じゃないのに」という不満を抱えているかもしれない。 しかし、前川に限って言えば、偽りの両親、偽りの親戚、偽りの恩師と演じてきて、ようやく納得のいく芝居が完成しつつあるという段階に足を踏み入れていた。 二人は、数年前、モデル事務所の社長を務める稲葉美千代から 「うちの探偵事務所をやってる弟から、40代の夫婦を演じられる人を貸してほしいって連絡が来てるんだけど、あなた達、やってみる気ない?」と言われたのを皮切りに、いろんなシチュエーションで何者かに扮し続けてきた。 最初に引き受けたのは、世話になった祖母にフィアンセを紹介したいという若い男性のケースだった。 男性はよりリアルに見えるように、前川と美保子に、フィアンセの両親として同席してほしいのだと依頼した。 前川と美保子は「楽勝」と心の中で叫び、特に緊張感もなく、その席に挑んだ。 しかし、後半、美保子の役者としての血が騒いだようで、芝居が新劇のようなくどさを帯びたものに移り変わっていく。 「バーロー、場を台無しにしやがって」と、ちゃぶ台返しをしたい位ボルテージが上がった前川ではあったが美保子の生き生きとした姿を久しぶりに見たような気がし、何とか耐えた。 「いつまでも、ここでまったりしているわけにもいかないな。そろそろ出よう」 前川は、少々羽振りが良かった時に、勢いで買ったテクノスの腕時計をこれ見よがしにアピールしながら美保子に言う。 美保子は返事をする代わりに、カップを片付け、二人で一階へと降りた。 新橋で電車に乗り、田町の事務所に直行する。 駅前のペデストリアンデッキで、第一京浜を渡り階段を降りると、飲食店などが軒を連ねる通りに出くわす。 その通りに紛れるように建つ雑居ビルに、二人が籍を置くモデル事務所があり 二人は、エレベーターで所定階のボタンを押す。 事務所ドアの横に備え付けてある機器で暗証番号を押し中に入ると、来客用のソファーには誰の姿も認められず、事務所代表を務める稲葉美千代が一人、電話の対応に追われている所だった。 「はい、70代の男女20名ですね。少々お時間下さい。一時間以内に折り返します」 美千代は受話器をゆっくり戻すと、それまでのよそ行きの声から一転、下町の世話焼きおばさんのような口調になり二人を迎えた。 「お帰りなさい。どうだった、今日の出来は」 「えぇ、先方の親御さんは、セレブと言う事もあり、これっぽちも疑われることなく、終了しました」 「そう、それは何より。ほら、あのクライアントのお嬢さん、ちょっと陰のある子だったでしょ。芝居の出来よりも、あの暗さがネックになるんじゃないかと心配で、心配で」 「そうですね。後は二人の愛の力で乗り切って頂くしかないと言うか…」 と言う美保子に、前川は 「お前、今どき誰がそんなくさいセリフ言う?」 としたチャチャを入れる。 そんな中、美千代は 「そうだ、こんなのんびりしている場合じゃなかったんだ。 六時から虎ノ門シーザーホテルでパーティーが開催されるんだけど、さくらとして行ってもらえる?衣装はもう用意してあるから、二時間後に事務所に戻って来てくれればいいわ」 と言い、二人に新しい仕事を回す。 こうしたパーティーではセレブ夫婦で通す事が殆どの前川と美保子は、会場でガツガツ食に走らない為にも、軽く何か胃に入れていく事にする。 学生街として有名なこの地域は飲み会やコンパで使われるような肩ひじ張らない店がほとんどであるが、女子学生をターゲットにした洒落たカフェもないわけではなかった。 前川と美保子は、仕事前、少し落ち着きたいという気持ちもあり、何度か足を運んでいるハーブティが売りの店に入る。 ウエィトレスに「ボンゴレセットと、本日のハーブティをお願いします。セットはホットコーヒーで。あと、小皿一枚」と告げると、15分程で料理が運ばれてくる。 美保子は慣れた手つきでボンゴレ少量を小皿に取り分け、残りを前川の前に置き「どうぞ」と言う。 美保子にしろ、前川にしろ、生活感がにじみ出ていないスタイリッシュな夫婦を演じる必要があり、その為には、食事は常々、腹八分目を心掛けていた。 美保子は、パスタをゆっくりと口に運んでいる夫の髪全体をチェックし、そろそろカットに行かせなきゃと考える。 カラーリングは、実年齢より若い人物になる場合には行うが、それ相応に見せたい場合もありケースバイケースだった。 二人は、まだ混み始めていない店にぎりぎりまで居座ると、時間を見て事務所に戻った。
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