02.須王白秋という男

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02.須王白秋という男

「おはよう、目が覚めた?」  口にガムテープ貼られたままコクコクと頷く私を見ながら、須王白州は満足そうに微笑む。喋れないね、とテープの端を摘んだかと思えば、何の声掛けもなく思いっきり引っ張るものだから私は痛みに悶えた。 「……貴方は何者?ここは…どこですか?」  窓のない部屋の中には、煙と酒の匂いが充満している。男はさも面倒臭そうにストライプのスーツから覗く銀色の時計を一瞥して溜め息を吐いた。 「俺は須王白秋、ここは会議室」 「会議室?」  よく見れば、かなり若い。肌のハリからしてまだ20代半ばぐらいに見える。大学生と言われても私は信じるかもしれない。綺麗な顔に少し伸びた黒髪が掛かっている。  何の組織か知らないけれど、下っ端の彼が私の尋問役として派遣されたのだろうか。しかし、どこかで見たことがあるような気がする。いったいどこで…? 「……あ、須王正臣(すおうまさおみ)に似てる…?」 「いかにもだね、ビンゴ」  指を鳴らして男は笑った。  須王正臣とは泣く子も黙る須王財閥の会長だ。日本経済の動向に疎い私でも毎日のようにニュースに登場するその顔は覚えている。俳優でも通用しそうな華やかな容姿もプラスに働き、その名前を世間に知らしめていた。 「あまり時間がないから単刀直入に聞きたいんだけど、命は大切にする方?それとも結構どうでも良い感じ?」 「はい?」  思わず聞き返した。 「俺には秘密が3つあってね、3つとも知った人間はもれなくこの世から消えるお約束になってるんだ」 「な…何を言ってるんですか?」  理解できない私を置いてけぼりにして男は話し続ける。 「1つ目は名前と顔。須王白秋という人間は存在しないことになっているんだよ。これで一つアウト」 「アウト……?」 「2つ目は俺が須王正臣の息子であるということ。はい、これが二つ目のアウトだね」 「さっきから何を……!」 「それで、ここからが3つ目なんだけど、須王グループの傘下には海外のマフィアが絡んでいる。連結子会社なんて聞こえの良い言葉で隠しているけれど、中身は実態のないブラックボックス。君が追突した車が運んでいたのはそのマフィアの手下の首ってわけ」  驚きに目を見開く私の前で須王白州は3本の指を立てて見せた。結婚しているのか、左手の薬指には細い指輪が光っている。こんな優しい笑顔で命の選択を迫られるなんて、私は聞いたことがない。 「あ、3つ目教えちゃったね。君が明確に理解していたのはたぶん2つ目までだと思うけど」  ごめんごめん、と言いながら男はガラス板で出来た机の上に白い粉が入った小さな袋を置いた。 「何ですかこれ…?」 「青酸カリ。なるべく楽に死んでほしいから、女の子にはだいたいこれでお願いしてるんだ。派手な方が良ければ頸動脈でも切ってあげるけど、そういう方が好き?」  こともな気に小首を傾げて聞いてくる。 「………私、言いません。車で見た箱の中身は誰にも言いません!見逃してください…!」  本当に本当なのだ。そもそも、自分をフった元恋人を追い掛けて東京まで来たなんて恥ずかしくて人に言い難いし、その上に事故っただなんて羞恥の極み。加えて、彼が隠したいであろう箱の中身までは私は実物を見ていない。ただ、凝固した血液を見て驚きの声を上げただけのこと。 「うーん、口約束ってあんまり好きじゃないんだよね」 「本当です!信じてください!」  眉を顰めてあからさまに嫌そうな顔をする男に、必死になって縋り付く。こんなところで命を捨てたくない。 「俺は君のことを何も知らないけれど、君は俺の何を知っているの?信じてくださいなんて、よく簡単に言えるなぁ」 「………っ」  悔しいけれどそれはド正論。言葉に詰まる私の目をジッと見つめた後、男は何かのぬいぐるみのキーホルダーが付いた鍵をくるくる回しながら考えて、口を開いた。 「じゃあさ、こうしようよ。一週間だけ俺の家でお手伝いをするのはどう?それで信頼関係が築ければ君の勝ちだ」 「勝ったら見逃してくれるんですか…?」 「うん。その可能性もある」  善人のような笑顔に、私は深く考えるよりも先に頷いた。 「いやーいいね、家政婦。今まで来てくれてた人がちょうど辞めちゃったんだよね。親父と愛人の関係を週刊誌にリークしちゃったらしくてさ」  ケラケラと楽しそうに笑う彼を見て反応に困った。 「料理とか出来る?出来なくても別にいいけど」 「……出来ると思います」 「よかった。俺のことは白州って呼んで」 「私は及川です、及川真」 「まことってどんな字なの?」 「真実の真です」 「へぇ、かっこいいじゃん」  調子の良い彼を見ていると、この状況を忘れてしまいそうだった。私はこの男の乗った車に激突したせいで、今まさに揺すられているのだ。しっかりしなければ。  そこで、ふと男がくるくる回す鍵に目が行った。 「あ、それもしかして私の…!?」 「うん。いつまでもあんな所に停めて置けないから、暫くはうちで預かることにするね」 「え?」 「一週間後、真さんが無事に帰る時に渡すよ」 「………はい」  これからよろしく、と言って須王白秋は握手を求めてきた。その手を握り返すと意外にも大きくゴツゴツしていて、彼が男であることを意識する。  こうして私は、このアンダーグラウンドに期限付きで身を置くことになったのだった。
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