07.恐怖を教えて

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07.恐怖を教えて

 私が小皿を出してテーブルに並べ、その上に白秋がオリーブの実を数個乗せる。「チーズもあったらよかったね」なんて言うけれど、この冷蔵庫は私が来るまでエナジードリンクとミネラルウォーターの保管庫として使われていたので仕方がない。 「そういえば、」  気になっていたことが口を突いて出た。 「さっきお風呂で相手の女性が白秋さんのことを“涼くん”って呼んでましたけど…」 「ああ、はいはい。何個か名前持ってるの」 「え、どうして?」 「だって須王白秋なんて名乗れないじゃん」  そうだった。  彼は自分のことを居ない人間なんて言っていたし、仮に存在するとしても須王と名乗れば必ずその容姿から須王正臣との関係性が疑われるはずだ。我ながら浅はかな質問をしてしまった。 「でも、彼女たちにバレたりはしないんですか?その…お父さんのこととか」 「大丈夫だよ。そんな深い関係になることないから」 「……なるほどそうなんですね」  つまり行きずりの相手がたくさん居るという意味だろうか。もう少し詳しく知りたい気もするけれど、あまりにもプライベートな話題だし突っ込みすぎるのは良くない。  親しくなるためにはどういった話をすれば良いんだろう。一週間の住み込みという話で始まった同棲もどきだが、既に今日はもう三日目。あと四日の間に結果を出さないといけないことに焦りはもちろんある。 「あの、今の私の信頼度ってどれぐらいですか?」 「単刀直入に聞いてくるね」  白秋が口角を上げて笑う。 「もう残りの日数も少ないので…」 「心配なんだ?そうだね、今はだいたい15%かな」 「え、15?」 「もっとあると思った?」  さすがに15%はないだろう。そんなの4分の1以下だ。これまでに一応、多少の会話はしているし昨日に関しては私が作った食事を白秋が食べてくれる機会もあった。それらを加味しても15%?本当に? 「……はい。正直言うと最低でも40%はあるかなと」 「自己評価が高いね」  冷ややかな表情を見せられて、息を呑む。 「たとえ俺と真さんがセックスしたとしてもそんな数字にはならないよ。じゃあ、そうすれば良いと思う?」 「そんな……」  べつに女を武器にする予定はないが、そういった手段を取ったとしても半分にも満たないというのは如何なものか。白秋の考えていることが分からない。彼が私に求めるものはいったい何なのだろう。  返答に窮して、中身の残ったワイングラスを見つめていると、伸びてきた白秋の手が私の手首を掴んだ。突然のことにビックリして振り上げた右手がグラスに当たる。横倒しになったワイングラスはテーブルクロスに赤い染みを作った。 「あ、ごめんなさい…!」 「真さんってさ、男性恐怖症?」 「………え?」  何がおかしいのか口元に笑みを残したまま、小首を傾げてそんなことを聞く。 「俺と話す時にあんまり目見ないよね」 「……そんなこと、ないです」 「視線がちょっとズレてるんだよ。気付いてない?」 「違います。私、彼氏が居たんですよ?」  恋愛してるのに男性恐怖症なわけないじゃないですか、と笑って言ったつもりだった。作ろうとした笑顔は多少歪だったかもしれないけれど。  何故、他人の彼に指摘されなければいけないのか。 「あと、俺が近付くと露骨に不安そうな顔をする」 「それは…!貴方が私を初日に殴ったから!」 「それだけ?」 「暴力を振るう人間を警戒するのは当然のことです。貴方は私にとっての危険人物なんです…!」  白秋の目には、声を荒げた私はヒステリックな女に映っているかもしれない。とてもじゃないけど冷静でなんか居られなかった。心臓はバクバクして、早くこの場から逃げ出したいと身体が叫んでいる。  立ち上がって反論する私を見上げて白州は微笑んだ。 「これはあくまでも仮定だから、間違ってたら俺のこと殴ってもいいよ。及川真は、今までの恋愛において対等な関係を相手と築けていなかった。もしかすると暴力でも受けていたのかな?」 「………違います」 「腕のところ、どうしたの?青くなってる」 「ぶつけたんです。寝相が悪いので」 「へぇ。脚にも打撲が多いけど」  大人なのに良く転ぶんだね、と不思議そうな顔で言う。冷水を頭から被ったように心の奥が冷えていく。頭はもう真っ白になって、私は白秋になんと答えたら良いか分からない。  口を開けては閉じてを何度か繰り返す。 「普通の人間なら見ず知らずの他人に拉致されて監禁まがいのことされたら、何とかして逃げ出そうとする」 「……だって、一週間経てば…」 「外部と連絡を取ろうとしたり、相手の隙を突いて家から出てみたりするんだよ」 「…………、」 「真さんはしないよね。渡した端末はクラウドで同期してるから検索履歴とか確認出来るけど、SNSにもアクセスしてない。何でかな?」  理由なんて、私が知りたい。  昨日まで表面上の会話を交わしていた白秋が、今日は土足で私の頭の中を踏み荒らす。早く心との連携を切らなければ私はあと少しで泣き出してしまうだろう。 「慣れてるんだよね、真さん。人に支配されることに」  それはあまりにも的確な指摘で、私はスイッチが落ちたようにその場に突っ立ったまま動けなかった。手に持ったグラスを机に置いて白秋がこちらに回り込む。 「やっと本当の真さんに触れることができた。人を知るにはその人が恐れるものを探るのが一番だから」  白秋の手が私の背中に添えられた。  彼の言う通りだ。私は今もその目を見ることはできない。本音を言うと怖くて堪らない。そうだ、いつだって私は逃げ出したかったのに、どうしてそれが出来なかったんだろう。どうして相手がいつか変わってくれるなんて思っていたんだろう。どうして捨てられてもまだ追い掛けようとしてしまうんだろう。 「これで少し近付けたね。俺のことは信じていいよ」  須王白秋の声が耳元で響く。  人を信じないことが秘訣だなんて言っていたのに、自分のことは信じていいと言う。私は空っぽにされた頭と心を埋めることなど出来ないと分かっていながら、彼の首に腕を回して子供のように泣いた。
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