06.木曜日 後編

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06.木曜日 後編

 五年という年月。  それは、あっという間なんてものではなかった。何も出来ない赤ん坊が良く喋って余計なことばかりしでかす悪ガキに成長するぐらいの期間だ。  アカデミーを卒業して、ジュディから結婚式の招待状を受け取った僕は、それでもふてくされて式を欠席することなんて出来ずに結局のこのこと式場へ足を運んだ。  ジュディ・フォレストは晴天の空の下で、その日に相応しい晴れやかな笑顔を浮かべていた。彼女が最後に受け持ったクラスの生徒たちに囲まれて。僕は消えてしまいたい気持ちを噛み殺しながら、皆と同様に白い花びらを新郎新婦に向かって投げた。  あの時。  僕がジュディの手を取っていたら。  退屈な式場から連れ出していたら。  いいや、きっとそんなことしたところで先に起こることは容易に想像出来る。参列した関係者に取り押さえられて頭に血が上った奴なんかに蹴り飛ばされるんだろう。  そしてたぶん、ベンシモンは気の毒そうな表情を浮かべて僕のことを見るはずだ。「怖いね、彼は本当に君の教え子なの?」とかなんとかジュディに囁いたりして。  丘の上に立つ赤い屋根の家を訪れるのは二度目。  既に薄暗くなった周囲を静かに照らすように、窓ガラスからは暖かな光が漏れている。以前訪れた際に、ジュディを連れ出したのはおそらくトリニティの組織から派遣された者たちだろう。鉢合わせなかったことへの安堵よりも、出遅れたことの後悔の方が大きかった。  アル・パレルモからしたら無意味な抗争を避けられたから一安心なんだと思う。僕がジュディとの久しぶりの再会を喜んでいる現場に、無関係なトリニティの男たちが乱入して来たら、きっと僕は酷く機嫌を悪くしただろうから。  手ぶらも何だからと買った白い百合の花は、ベンシモンへ手向けるためではない。彼女との再会を祝うために本当はワインの一本でも買いたかったけれど、さすがに失礼なので止めた。  息を吸って呼び鈴を鳴らす。  窓ガラスの向こうを人影が過ぎった。 「………ヴィンセントくん…?」  玄関から顔を覗かせたジュディは、夫を悼むためか真っ黒なセットアップを着ている。僕はいつかの結婚式で見た純白の衣装に身を包む彼女の姿を思い出しながら瞬きをした。  ジュディ・フォレストは驚くほど変わっていなかった。  まるで時間があの時から止まったままみたいに。 「ヴィンセントくんなの?ごめんなさい、あまりに雰囲気が変わっていて、分からなくって……」 「大丈夫ですよ。お久しぶりです、ジュディ先生」 「貴方の耳にも届いてるとは思わなかったわ。驚いたでしょう?たった五年しか経っていないの」 「……そうですね」  たった五年。彼女の言うその表現が、若くして未亡人になってしまった自分を指して使われたことは分かっていたけれど、僕にとっての「五年もの年月」がそう言い表わされていることに違和感はあった。  僕がジュディに会えなかった五年という期間。  それは、決して短いものではなかったから。  持って来た花を手渡して、案内されるがままに室内へ足を踏み入れた。ところどころに散見される男物の靴や、彼女の趣味ではないであろう小さな馬の人形のコレクションは、僕の気分を不快にした。  死んでも尚、ベンシモンは夫としてジュディの心に根を生やしている。彼がやって退けた悪行はその死と共に葬り去られて、彼女の耳に入ることはない。ただ、早すぎる死が強い悲しみとなって胸を締め付けるだけ。  ボスに聞いていた通り、棺は無かったので用意された写真立ての前で膝を突いた。枠の中でこちらを見て微笑むベンシモンの顔を一瞥する。僕が成し得なかった偉業を遂げた男。  頭の奥に命乞いをする、ベンシモンの最期の顔が浮かんだ。 「ヴィンセントくん……あの、」  隣を見ると、目を泳がせたジュディが僕を見上げていた。 「どうしましたか、先生?」 「もしかして…まだ悪い人たちと関わりが…?」 「悪い人?」  ジュディの目線の先に気付いて、思わず僕は吹き出した。そうだ、僕はゴーダの馬鹿力で殴られたせいで頬が大きく腫れ上がっている。極め付けに口の端も切れたままだったので、これでは誤解を生んでも仕方がない。  これは違う、と訂正しようとしたところで、頭の隅に狡い考えが浮かんだ。ボスは僕に「手を引け」とは言ったけれど、接近を禁じたわけではない。なにぶん、五年ぶりの再会だ。もう少し感傷に浸っても良いのではないか。 「……そうなんです、実は追われていて」 「え!?借金取りか何かなの…?」 「はい。あの、実は住む場所を追い出されて…」 「そんな…なんてこと……」  ジュディは僕の大嘘を間に受けて、立ち上がっておろおろと部屋の中を歩き回る。大方のところ、そういった事情に詳しい弁護士にでも相談しようとしているのだろう。 「先生、お願いがあるんですが」 「うん?はい、何かしら?」 「暫く僕を此処に置いてくれませんか?」 「………え?」  茶色い瞳が一瞬、満月のように丸くなった。 「もちろん家賃は払います。新しい家が見つかるまで、少しの間、僕を匿ってくれないでしょうか?」 「ヴィンセントくん、」 「無理にとは言いませんが……」  僕は本当に狡い人間で、こういった頼み方をすれば正義感の強いジュディが断れないことを知っていた。少し悩んだ末に小さく頷く喪服の女を前に、僕は五年に渡る自分の壮大な片想いが再び動き出す喜びを噛み締めていた。
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