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07.金曜日
「なんだなんだ?やけに機嫌が良いな、ヴィンセント」
訝しげに眉を顰めるゴーダを振り返って僕は満面の笑みを見せる。気色悪い、と小言を言われたので腹が立ったけれどべつに言い返したりしない。
なにせ、家に帰ったらジュディが居る。
無理矢理に漕ぎ着けた居候の提案は、思ったよりも容易に了承された。相変わらずのお人好しぶりに感謝しかない。彼女は断ったけれど、ケジメとして月にいくらかの賃金を家賃として納める予定で、あとはのらりくらりと適当に家を探しているフリを装いながら過ごすつもりだ。
一緒に過ごす間に、なんとかしてジュディに気持ちを伝えて、願わくば彼女の心も動かす必要がある。傷心のジュディを相手に新しい恋に誘うなんて早々出来そうにはない。だから、暫くは念入りに信用を得るために時間を使って。
つまりは、可哀想なヴィンセント・アーガイルという彼女の中で凝り固まった僕の評価を覆す必要があるのだ。いつまでも庇護対象として考えられていたら、恋愛になんか持ち込める筈もないから。
「そういやぁ、例のマックイーンの妻は今じゃあトリニティがバックに付いてる娼館で働いてるんだろ?」
「………らしいね」
「らしいねってお前、良いのか?あんなに躍起になって手に入れたがってた女が他の男のイチモツしゃぶってんだぞ」
「良いわけねーよ」
「じゃあなんで……っひぃ!」
向けた顔を見てゴーダは怯えたような声を上げた。
「僕はパレルモの犬だから、今は待ての時間なんだ」
「待て……?」
「娼館で働くのが良いわけあるかよ。相手した男みんな引き摺り回して殺したいぐらいには頭に来てる」
「ヴィンセント、」
「でもな、今はその時じゃない。五年もこの時を待っていたんだ。僕はもう間違わない。正攻法で行かせてもらう」
ゴーダは目を何度かパチパチして立ち上がった僕を見る。
ジュディが歓楽街の外れで客を取っていると彼女の口から聞いた時、僕は自分の行動を悔いた。命令とはいえ、ぼんくらな夫が死んだせいで彼女はその場所で働かされることになったのだ。
教職なんていう神聖な仕事を志していた彼女が、娼館で破廉恥な服を着て男と寝ているなんて考えただけで喉が締まるようだ。その原因を作ったのが他でもない自分であるということも、僕を最悪な気持ちにした。
どう償えば良いのか。
ジュディに「貴女の夫は偽善者だったので僕が裁きを下しました」と言ったところで、彼女に嫌われて終わりだろう。嫌うどころか恨みを買うこと不可避。
僕が出来ることは何か?
自分の希望を通しつつ彼女のためにもなるベストな対応を考えた結果、僕はジュディの家に居候することを決めた。それはトリニティがいざ彼女に必要以上のものを求めた場合に僕が役に立てばなんていう驕りと、夫を亡くして傷付いた心を少しでも癒すことが出来ればという願いから。
もちろん、その背景には隠し切れない下心があって、もしもトリニティが僕の存在に気付いてパレルモを攻めた場合、ただ事では済まない。そんなの知ったこっちゃないけれど。
「なぁ、ゴーダ、僕は自分のために生きるよ」
「お前はいつだってそうだったろうよ」
呆れたように微かに笑ってゴーダは大きな欠伸をする。
「今、マックイーンの妻と暮らしてる」
「……何だって?」
「悪いがこれは僕の問題で、べつにトリニティにどうこうするつもりはない。彼女に仕事を辞めさせるわけでも、パレルモの名を背負って飛び込みに行くわけでもない」
「ヴィンセント、ボスは言ったよな?この一件からは手を引いて、それで……」
「どうこうするわけじゃない。ただ一緒に居るだけだ」
「それが問題なんだろう!?」
唾を飛ばす勢いでゴーダが僕に掴み掛かった。
手を突いた机の上から書類の束がバサバサ落ちる。
迷惑な片想いだと言いたいのだろう。
子供とは言えない年齢の男が自分の私利私欲のために組織に内密に動いている、それは誰が聞いてもタブーに近しい。
「……お前にはあるか?」
「あ?」
「誰かに手放しで認められて信用されたことがあるか?」
「どういう意味だよ」
「お前の素行や育ちに関係なく、自分を信じてくれる人間に出会ったことがあるかって聞いてんだ」
「………そんなの、」
「僕は居るよ。人生でたった一人だけ」
例え、それが間違った判断だとしても。
彼女は僕を見て自分の目で評価してくれた。
ろくに授業にも出ず、母親も居なくて祖父と二人暮らし。久しぶりに学校に来たかと思えば女子生徒と行為に及んでいたどうしようもない僕を、無罪であると信じ、抱き締めてくれた。教師としては褒められるべき行動ではない。
あまりにも節穴、あまりにも無知。
だけど、僕にとっては十分だった。
「あの日からずっと、ジュディは僕の絶対なんだ」
見上げた天井は煙で焼けて変色している。
言葉に出来ない感情を、僕は愛だの恋だのという見知った言葉で包んで大切に大切に育てた。結婚した彼女のことを諦めようと思ったこともあるけれど、ようやく思い出に出来そうな頃に再びジュディ・フォレストは姿を現した。
これが運命でなければ、いったい何なのか。
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