第九話   囚人

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 さて、と。業は内心、女の方を助けるかを検討する。  というのも、生きて気弱な人(・・・・・・・)が近くにほしかった。さらに言えば囚人であることが望みだ。声だけしか聞こえない現状では、脅されている女はどちらか見当がつかない。力関係的には囚人の可能性が高いが、ただ勝負に負けて脅されているだけの可能性も十分にある。現状での断定はできない。けれど、決めなければ……―― 「……本当に、逃げられるの?」  ――女は薬を飲んでしまうだろう。  この状況ではどちらも薬ではない可能性がある。この場で、こんな状況で、敢えて選択肢を与えているような奴だ。「楽になる」という言葉をそのまま鵜呑みにするのは愚の骨頂。ただし、その考えは冷静な判断ができる人間、この場では第三者である業にしかできないことだ。 「楽になる」という言葉自体には偽りはないだろう。ただし、それが女の求めた「助かる」という意味合いではない。そもそも相手は「助かる」ではなく「逃げられる」と表現している。地獄から逃げられる、解放される。助からず、逃げられる。もう追われないけれど、終われる。終末。  業は階段を駆け上がった。足音を響かせ、すぐに体を表に出した。踊り場を回って、さらに上の階段の半ば。手前に手を伸ばしかけた小柄な女。その奥にぼさぼさの頭をした白衣のガスマスク。ガスマスクの手には試験管が二つ。赤い液体と、青い液体。どんな効果かはわからない。業は勢いのままサバイバルナイフを逆手に構え、女の手を引いて位置を入れ替える。 「きゃぁ!」 「ななななななな、なんだよおおおおおおおまえええええええ」  女は踊り場へ落ちた。目もくれず、どもりながら後退するガスマスクを追う。ガスマスクは階段を上りきったところで尻餅をついた。手にしていた試験官が落ちる。業は前回の失敗を教訓にしてナイフを振りかぶる。 「なああああああ!!?」  両手を顔の前に交差させ、身を守ろうとした。  白衣の袖から腕……黒い腕が見える。  業の第六感が発火した。階段を飛び降りて、女の近くまで引き戻った。 「……あれぇ? なぁーんだ、やらないの?」  業はナイフを構える。尻餅をついたままのガスマスクはあっけらかんに両手を垂らし揺する。たった今さっきまでひどく怯えていたのは、果たして何だったのか。業の第六感を刺激したのは何だったのか。 「残念。僕をいじめるお前もさっさと死ねばいいのに」  立ち上がった。ゆらりと揺れる体は白衣によって体型を悟らせない。けれど決して大きくはない。大男でもある業と力比べをすればおおよそ業が勝つだろう。けれど、業は接近戦を避けた。避けなければと思った。ガスマスク、試験管の液体。白衣の下で皮膚を守る黒い何か。 「毒か」 「ピンポーン! だいせーかーい!」  指を弾いて上機嫌な声が響く。  近づくことは危険だと、業は判断せざるを得なかった。
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