第十話   割り込み

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 女は思わず訪ねる。業は扉を睨みつけたまま、頭の中で考える。このまま出てくるのを待つか。他の得物を探すか。それとも―― 「ついてこい」 「あ、はいっ」  返答は出さず、業は踵を返した。業よりも頭二つ分低い150cm台の、ボーイッシュな短髪はその後をついて行った。      ✢  調理室。業と女が入った部屋だ。中は調理室らしからぬ、およそ調理器具とは言えないような刃物が多数。薄汚れ、染み付いた血痕。内臓。肉片。換気ができないゆえに篭った臭い。廊下には数時間前に多少の言葉を交わした女の体。今はもう死体と成り果てた≪絞殺≫が、床に這った状態でそのままだった。業にとっては学び舎。ここは業にとっての安全地帯。学科を学んだ場所だ。  チョーカーに反応し、扉が自動で開く。後をついてきた女は首にチョーカーはなかった。彼女に安全地帯は存在しない。業にとっての安全地帯も、彼女にとってどうかはわからない。けれど、踏み入れなければ危険であることには変わりない。数秒の躊躇いの後、意を決して足を踏み入れた。 「お邪魔します……」  異様な雰囲気なんて今更である。そんな中でも、自分を迎えてくれた場所というのはどうして微かな安心を感じてしまうのか。  業は床に座り、手入れの道具を取り出した。女は自動で閉まった扉の近くから離れられず立ち尽くす。 「あの……」 「出れなくなると思わなかったのか?」 「っ、ぁ」  前髪の隙間から、獰猛な目が覗く。小柄な女は見上げられることはそうそうなかった。この経験はいつぶりだったろうか。こんなにも背筋が逆撫でされるような不気味さを、果たして経験したことがあっただろうか。  喉が締まる感覚に、声が身から出てこない。震える手が喉に触れるも、頑なな声は身を潜める。だが、答えなければ。この場の強弱なんてあえて比べるまでもない。答えず、気分を害したら、どうなるか。想像に容易い。だからこそ、より喉が締まる。 「ぁ……の……」 「殺すつもりはない。ここにいたらいい」 「…………ぇ……?」  ようやく出たのは、素っ頓狂なそれ。鳩に豆鉄砲。女個人の感覚としては青天の霹靂にも等しい衝撃だった。睨み上げず、作業を再開した業を大きすぎる目が見つめる。この状況で自分を匿ってくれるこの人は、一体何なのか。疑問に思うしかない。 「わたし……シュナって言います」 「……」 「……お名前、聞いてもいいですか?」 「……業」 「なり、さん」  喋らせてくれる。  話させてくれる。  名乗らせてくれる。  構えを教えてくれる。  そんな、何も不思議ではない、ただただ普通のこと。普通じゃない場所で、そんな普通なことができるとは。名前も聞かず、話もせず、ただひたすらに殺し殺されていく数日間。シュナと名乗った女は、涙を零した。 「ありがとう、ございます……っ」  一瞬。業の手が止まる。目を閉じて雫を拭ったシュナは気付かなかった。業はシュナを一瞥し、悟られる前に作業を再開した。
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