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第二話 当日
夜型生活から一変した業は、ボクシングジムに缶詰になった。
全身の筋力を賦活し、打ち込み、自身を追い込む。行き帰りは多すぎる荷物を背負ってダッシュ。心肺機能を鍛える。ボロく狭く暗いアパートに帰ってきたら、必ずタンパク質を摂り、狭い風呂に入り、ストレッチをして日を跨ぐ前に寝る。
自分の体を追い込んで、いつ来るかもわからない『復讐者養成所』の招集を待った。目を開けたら誰かがいるかもしれない。ポストに新たな手紙が来ているかもしれない。道中声をかけられるかもしれない。いつのまにか知らない場所に運ばれているかもしれない。心が踊っていた。表情が緩んでいた。血が昂っていた。周りからは鬼気迫る気迫で血走っていた目ですら、業としては爛々に輝かせていたのだ。その様子を知っている者の中で、何があったのかを問える者はいなかった。
七日目の夜。いつも通りに帰路を駆け抜けていた業は足を別方向に向けた。
家の周りは街灯一つついていて多少は明るい。その道を外れて、業は狭い路地の灯りがほとんど無い、誰かがいたり何かがあってもシルエットがようやくわかるぐらいの場所で足を止めた。
人が二人並ぶのが精一杯の、室外機やダンボールが置かれた、人が通ることはおよそ想定されていなさそうな脇道。業の正面は突き当たり。背後には数人の気配。業は振り向かず、壁に話しかける。
「こんな場所を目的地としている奴、俺以外いないだろうな」
あくまで、独り言。認識することが是なのか、わからないかった。業という一般人がその姿を見ることは、業の計画のためになるのか判断しかねていた。だから、人気のないところで、姿を間違って見ないような場所で、大きく独り言。
「ユーザーネーム:ナリ。只今より、会場へお連れていたします」
「夕飯も風呂も、今日は面倒だ。このまま寝ちまおう。最近は深呼吸していればすぐ寝れる」
業の耳には何も届いていない。
壁相手に習慣を捻じ曲げることを伝え、立ったまま目を閉じて、両手を開いて胸を上下させる。業の背後でカラカラと音がして、不思議な臭いが漂ってくる。裏路地なのだから、変な臭いがしてもおかしくはないだろう。業はお構いなしに吸い込んで、息を止めた。数秒後に吐くことを、もう覚えてはいなかった。
✢
業は目を覚ました。長方形が並ぶ、クリーム色のレンガのような模様があった。目を開けたが、視界に映るものはそれだけ。即座に目を瞑り、周囲の様子を耳で伺う。けれども何も聞こえては来ない。人の声も、物音も、なにもない。そして業はもう一度、瞼を開いた。
今度は眼球を動かしてみた。けれども何も動いていない。ただ止まっているだけかもしれないが、息遣いも聞こえない。耳を澄ませれば澄ませる程、自分の鼓動と殺しかけの呼吸だけしか聞こえない。業は至って冷静に、体を動かさずに得られる視覚情報を得ようとする。
視界に映ったのは、大量のモノ。判断するほどの情報は得られない。現状は誰もいなさそうだ、ということ。そして、自身の体が拘束されている、ということだけがわかった。寝袋のようなものに包まれ、ベルトで押さえつけられている。
この状況でも冷静でいられるのは、どのような人間か。業は数少なそうな人間に該当している。見覚えのない環境を見ても言葉を発さず。習慣的に、反射的に体を起こしそうなところを行動に移さず。混乱せず。冷静に、状況を把握しようとする。それは業の、この企画に参加する理由故のこと。まさに人生を賭けるほどに、業はこの機会を待っていたのだ。
その機会を無駄にすることは、業にとっては死と同義。故に、待った。「何かがあるはずだ」という根拠のない自信を持った結論を信じ、業は目を閉じて機を待った。
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