鏡の中の背中の彼

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

鏡の中の背中の彼

 鏡を見ると、ごくたまに現れる彼。  でも、いつも背中を向けて去っていく。 「アナタは誰?」  振り返ってもわたしの周りには誰もいない。  鏡の中にしか存在しない、その背中。  味方? それとも、敵?  アナタに会いたい。  そう思いながら、鏡の中の背中を見送るわたし。  いつか振り向いてくれるだろうか? 「あの人かもしれない?」  そう思う相手がいる。  あの時の彼だ。  それは二年前、わたしが中学生だった頃。  わたしは自分のことがキライだった。  好きになれない顔、表情……。  人を信じていない目がキライ。  恨みごとしか言わない歪んだ唇はもっとキライ。  もしかすると、悪魔に取り憑かれているのかもしれない。  そんな思いに急に駆られた。  一刻も早く心の中から悪魔を追い出さないと!  いつの間にか、わたしはナイフを手にしていた。  真夜中の自分の部屋。  もう親は眠っていて、家の中はシンとしている。  意気地なしのわたしは手にしたナイフをもてあましていた。  自分に向けて突き刺す勇気などない。  ふと、姿見に映るわたしと視線が合う。  鏡の中の自分をにらむ。 「この悪魔!」  わたしは鏡に映るわたしに向けて、両手で握ったナイフを突き出した。 「えッ……!?」  次の瞬間、わたしは鏡の中にいた。  そこで出会ったのが、彼だ……。  いえ、ウソをつきました。  すみません。  あの夜、わたしはナイフなど握っていなかった。  正直に言います。  中学生だったわたしは、ホントに自分のことが大嫌いでした。  だけど……。  部屋にナイフを隠し持っているような子ではありませんでした。  机の引き出しに隠し持っていたのはブックオフで買ったお笑いライブのDVD。  クラスでは全く目立たない生徒。  でも、漫才師に憧れていたのです。  高校に入ったら、コンビを組むボケの相方を見つけるのが目標でした。  ツッコミがわたしの担当。  みんなを笑わせる面白いボケなど、わたしには到底思いつかないので。  眠れない夜は、姿見の前でツッコミの自主練をしていた。  鏡に映る自分に向けてツッコミを入れる練習だ。  手を振る角度、速さ、指の向き……いろいろと試行錯誤しながら。 「おいッ!」 「ええかげんにせえ!」 「もうええわッ」  もちろん真夜中なので、ささやくような小さな声で。  だけど、あの夜は少々熱が入りすぎて姿見を倒しそうな勢いで手を振ってしまった。 「なんでやねんッ!」  あッ、鏡に手が当たる……!  寸止めしようと体が前のめりになった、その瞬間だ。 「……ここは?」  魔法にかかったような気分だった。  わたしは鏡の中にいたのだ。  そして、出会ったのが彼……。 「何やっとんねん?」  見知らぬ同士なのに、彼は躊躇なくわたしに話しかけてきた。  切れ長な目でわたしを見下ろす彼。  背が高くて、クールな感じ。  だけど、関西弁。  わたしは思わず頭を下げた。 「わたしの相方になってください! ボケ担当で!」  初対面のわたしの第一声がそれだ。 「キミの方がボケやろ?」  彼にそう言われても、何も言い返せなかった。  でも、彼はこころよくわたしの相方になることを引き受けてくれたのだ。  それから数日間、わたしはずっと鏡の中にいた。  クールな青年とひたすら漫才の練習をした。  何時間も、何十時間もぶっ通しで。  全然眠くならないし、疲れない。  不思議な体験。  練習はとんでもない猛特訓だった。  何百回、何千回とわたしはツッコミの手を振り続けた。 「何やっとんねん!」 「そんなことないやろッ」 「やめてしまえッ!」  関東に住むわたしには、関西弁は難しい。  それでも彼は諦めずにわたしに付き合ってくれた。 「もう一回!」 「はい!」 「ダメ。もう一回!」 「はいッ」 「もう一回!」 「お願いしますッ!」  全力でボケ続ける彼に、わたしはがむしゃらに食らいついた。  そして、ついに渾身のツッコミを入れることが……できた。 「なんでやねーんッ!!!」 「それやッ」  彼はとうとうわたしに合格点を出してくれたのだ。  うれしさで気が遠くなる感覚に襲われた。  クラッ……!  気がつけば、わたしは現実の世界に戻っていた。 「夢かもしれない」  今ではそう思っている。  数日間留守にしたと思っていたこちらの世界は、ちっとも時間が進んでいなかったからだ。 「やっぱり夢だったんだ……」  そう思うしかなかった。  わたしが失踪して、ちょっとした騒ぎになっていると覚悟していた。  だけど、現実の世界では何も起こっていなかった。  わたしはあの夜、姿見に映るわたしを相手にツッコミを入れる練習をしていたわたしのままだった。  平凡な日々が流れるように過ぎ、わたしは高校生になった。  新しくできた友達に誘われ、吹奏楽部に入った。  わたしはクラリネットの担当を希望した。  楽器なんてド素人。  そんなわたしにも優しい先輩がついてくれ、手ほどきをしてくれた。  今では大勢の仲間に囲まれて、充実した高校生活を送っている。  来月には東京で関東大会の大舞台にも立つ予定だ。  あんなに引っ込み思案だったわたしが……。  家に帰って、自分の顔を部屋の姿見で見てみる。  我ながら、少し自信をつけた表情だと思う。  この部屋から「どこへも行けない」と思い悩んでいた中学時代が懐かしい。 「あっ」  驚いたことに、鏡の中にあの背中が見えた。  彼だ! 「ちょっとッ」  声をかけても、きっと振り向いてはくれない。  分かってはいるけれど……。 「来月、部活の関東大会があるんです! 応援してくださいッ」  必死に声をかけた。  でも、彼はいつものように振り返ることなく去っていった。  大会会場の控室に鏡があるなら、そこに現れてほしい。  そう思った。  きっと、わたしのボケの相方なら……。 「クラリネットを逆さに持って吹け!」  そんなアドバイスをしてくれることだろう。  わたしにそんな無茶は絶対に出来ないけれど。  姿見に向かって「おやすみなさい」と呟いた。  久々の再会を期待して。  それからあっという間に大会当日。  今日は経験したことがない大きな会場での演奏だ。  緊張と興奮で、わたしの気持ちはアップアップしていた。  ふと、控室の鏡に映る自分の顔が視界に入る。  よく見ると、目がバキバキだ。 「落ち着け、わたし」  すると……現れたのだ!  鏡の中にあの背中が見えた。 「来てくれたの?」  波立っていた心がスッと落ち着く。 「やっぱりわたしの相方だ! 大事な時に駆けつけてくれるなんてッ」  うれしくなって、鏡の中に向かって声をかけた。 「ありがとうッ」  その時、彼が初めて振り返った。  クルリ……。 「何か?」  は?  振り返ったのは全く知らない人だった。 「なんでやねーんッ!!!!!」  人生で一番のツッコミが出た。 (おわり)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!